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インスタの初期の投稿ってインディーズ時代の作品みたい

 誰かとインスタのアカウントが繋がったら私がまず見にいくのが、アカウント最初期の投稿である。

 アカウント最初期の投稿にありがちなあの、初々しくも粗削りな感じ、まだインスタに食らいつこうとしていたあの頃の、まさにインディーズ時代の作品といった気概のポストを見るのが好きだ。

 本格的に「映え」専用機になる以前のインスタグラムは、今よりもずっと純粋に写真を記録していくためのアプリだったように思う。スマホのカメラ性能も今ほど良くはなかったので、B612とかSNOWなどの往年のアプリで撮った紗がかかったような画質の写真が多く、昨今のような過度に凝った構図などに囚われない、素朴でありのままの写真たちが共有されていた。

 よくわからない飲食店を宣伝する胡散臭いインフルエンサーが跳梁跋扈し始める前、あの頃はまだ、ハッシュタグというインスタ特有の文化が、写真メインのSNSであるこのプラットフォームの良いサポート役になっていた。ハッシュタグは純粋な状況説明のエレメントでしかなかった。ハッシュタグを文章チックにつなげたりして、ちょっとした日記のようににしてみたりね。「あらゆる角度からエゴサにひっかかりやすくして、インプレッションを稼ぐ」という風潮が浸透した今の時代には、もはやこれもメインストリームではなくなってしまった。

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 なんていうか、インスタの初期のポストって本当にインディーズ時代の曲みたいな雰囲気なのだ。直近のポストはオシャレなカフェとか壮大な風景写真みたいにメジャーデビュー後の雰囲気っぽい写真なのに、最初期の投稿まで遡ると、友達の何気ない後ろ姿とか、通学路に落ちていたゴミとか、雑然とした部屋とか、そういう「エモさを狙っていないエモさ」があるというか。本当にただ日常を雑に切り取っただけの正方形の写真が敷き詰められていて、なんだか胸が苦しくなる。

 スマホの画質は上がって、カメラのテクニックも上達して、私たちはあの頃よりもいいものを食べて、いい服を着るようになった。洗練された直近のポストたちと足並みをそろえるために過去のポストを削除する人もいることだろう。しかしそれは、メジャーデビューして大きなレーベルに所属し、インディーズ時代の楽曲を頑としてサブスク解禁しないバンドマンたちと同じである。
 インディーズ時代があるからこそ、今がある。思い出せ、学校帰りに自転車を漕ぎながら飲んだリプトンの紙パックのことを。土曜日に歩く誰もいない昼下がりの通学路のことを。あの頃の思い出が、まだあそこにある。
 

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