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ハードボイルド書店員日記【212】
朝礼が変わった。
入荷のない休配の土曜、日曜そして祝日は、従業員がオススメの本を紹介することになった。持ち時間は5分で質疑応答も可。異動してきた正社員のアイデアである。ビブリオバトルの経験者らしい。
「あれ、どう思います?」
平日の午前中。年末年始に備え、カウンターでひたすらカバーを折る。隣に入った雑誌担当に声を掛けられた。
「あれ?」
「朝礼の」
「ああ」
彼は次の土曜の担当である。
「べつ
ハードボイルド書店員日記【211】
「すいません、この本はありますか?」
だいぶ肌寒くなった平日の昼下がり。語学書の品出しをしていると、年配の女性に声を掛けられた。白い正方形の紙片に「それでも選挙に行く理由 白水社」と記されている。紅白歌合戦の常連がカラオケでワンフレーズだけ歌ったような筆跡だ。
「ございます」
「え、あるんですか?」
縁なし眼鏡の奥の瞳がサイズを増した。調べずに断言したのが意外だったのか、置いていることを期待し
ハードボイルド書店員日記【210】
「昨日初めて神保町の古本まつりに行きました」
開店直後の週末。マスクの下で欠伸を噛み殺し、四六判のカバーを折る。数か月前に入った男性アルバイトに声を掛けられた。
「混んでた?」
「めちゃめちゃ混んでました」
「何か買った?」
「村上春樹の単行本を」
「タイトルは?」
「何でしたっけ。えーと鼠が出てきて」
「『羊をめぐる冒険』?」
「いえ」
「『1973年のピンボール』?」
「でもなく」
「じゃ
ハードボイルド書店員日記【209】
<熱い人>
アルバイトの新人が入ってきた。待望のフルタイム。元気が良くていつもニコニコし、仕事を教えれば「はいっ!」と返事をする。
「彼、いいよね」
「ですです。やる気あるし」
「面接の時に『休みの日は他の書店へ通って勉強してます!』『本と本屋が大好きなので』って言ってたよ」
「そういう熱い人がいちばんですね」
事務所で女性社員とベテランの非正規が盛り上がっている。やれやれ。同じように期待した人
ハードボイルド書店員日記【208】
「暇っすね」
三連休が明けた週の平日。人気コミックの新刊が発売されたが、朝から平和な時間が続いている。最低賃金の職場であることに甘んじるなら、これが平常運転と捉えるべきだろう。
「俺、帰ってもよくないすか?」
共にレジに入った雑誌担当がぼやく。翌日入るものの前の号を棚から抜き、返品の荷物も作り終えたらしい。
「もう少しの辛抱だから」
あり得ないミスは弛緩した時間の中でこそ。彼も私も何度かやらか
ハードボイルド書店員日記【207】
「このブックサンタって何?」
気温が大きく下がった雨の平日。週刊誌を買いに来た五分刈りの中年男性がレジ横に飾られたPOPを指し、薄い眉をひそめた。
「ご購入いただいた書籍を、児童福祉施設や支援団体を通し、全国の子どもたちへ贈る企画です」
「子どもたちって何歳まで?」
「経済困窮、病気、被災などによって体験格差を抱える0歳から18歳が対象です。しかし状況によっては、例外的に19歳以降へ提供するケ
ハードボイルド書店員日記【206】
「あの文学賞、いつ発表だっけ?」
混雑と人手不足のコラボが常態化している土曜。文庫本を買いにきた年配の紳士から問い合わせを受けた。
「10月10日の木曜です。例年通りなら夜8時ぐらいには」
「今年も村上春樹はダメかな?」
「どうでしょう」
「まあ本人が望んでないみたいだし、本当の村上主義者は騒いでない気がするけどね」
もう少しで握手を求めるところだった。ハルキストではなく村上主義者という語彙を
ハードボイルド書店員日記【205】
「レジではもっと落ち着いて。さっき、そう注意されました」
「誰に?」
「店長です。ちょっとミスが重なっちゃって」
「仕方ない。三連休が二週続いて忙しかったから。しかも人手不足でずっとカウンターを抜けられなかったし」
「そうなんです!! 有休取りたかったのを我慢して出勤したのに、ちょっと理不尽じゃないですか?」
「まあなあ」
「あと社員の人も、もう少しレジに入ってほしかったです」
「向こうは向こうで
ハードボイルド書店員日記【204】
「いらっしゃいませ!! お、本屋さん」
その呼び方は誤解を招く。
職場が入っている商業施設から徒歩数分。雑居ビルの一階にあるラーメン屋へ足を運ぶ。L字カウンターだけの空間だ。鉛を詰め込まれた身体をいつもの席へ落ち着かせる。店主さんとは同世代。たまに雑誌やマンガを買いに来てくれる。
「景気はどう?」
「連休は混みますね。疲れました」
「どんな本が売れてる?」
高確率でこの質問が飛んでくる。
「
ハードボイルド書店員日記【203】
「政治の本、ここに出てるだけ?」
人手不足の平日。突休(とつやす)がふたり。レジカウンターを抜けられるのはわずか一時間。入荷量から判断すると、昼休みを短縮しなければ品出しが終わらない。
自分も他者も同じ人間。誰かに推奨できない働き方を己に許す局面が人生に皆無とは思わぬ。だが明らかにいまではない。
補充分を該当する棚へ差していく。
窮屈に詰めるとお客さんが取り出せない。本を傷める原因にもなる
ハードボイルド書店員日記【202】
<2024年9月3日>
「御無沙汰してます」
穏やかな火曜の午後。レジで背の高い中年男性に声を掛けられた。赤いTシャツの胸元に”GERMAN SUPLEX THE EVEREST STYLE”と黄色いプリントが施されている。そうか今日だ。
「お久しぶりです。行かれるんですか?」
「ええ。久し振りに有休を取って」
「いいですね。楽しんできてください」
彼は年中プロレスのTシャツかパーカーを着ている
ハードボイルド書店員日記【201】
<元気が出る言葉>
「あ、お久しぶりです!!」
かつての職場。休日の午後に訪れ、スポーツ書の棚を眺める。元・後輩に見つかった。相も変わらず接客業向きの笑顔。品出しが忙しそうだから声を掛けなかったのに。
「元気そうで何より」
「そうでもないっす。昨日バイトの子が辞めちゃって。レジの打ちミスが直らないんでちょっと厳しく注意したら」
「覚えないと次行けないな」
「ですよね! たぶんZ世代の感覚だと、
ハードボイルド書店員日記【200】
「すいません、ちょっといいですか?」
暑さの続く平日。ゲリラ豪雨に備え、連日折り畳み傘を鞄へ忍ばせている。雨が降って涼しくなるならまだしも、湿気が増すだけだったりするからやり切れない。
品出しがひと段落した昼下がり。姿勢のいい女性に声を掛けられた。見覚えがある。先週息子さんと一緒に来て「ドラえもん」(小学館)の11巻を購入してくれた人だ。今日はひとりらしい。
「いらっしゃいませ」
「あの、先
ハードボイルド書店員日記【199】
「ほら、早く決めなさいよ」
お盆期間の児童書売り場。課題図書が並んだコーナーの前で男の子が母親らしき女性と話している。たぶん小学生だろう。青いTシャツを着てドジャースのベースボールキャップを被っている。
「大谷の絵本は?」
「ダメダメ。学校の宿題なんだから、ちゃんとした本にして」
絵本もちゃんとした本では? 学習参考書の棚整理をしながらそんな言葉を飲み込む。
「じゃあマンガ」
「もっとダメでしょ