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ハードボイルド書店員日記【223】
<悩みは消える>
平日午前中のレジカウンター。店の番線印にスタンプ台の黒インクを付着させ、返品の際に使う伝票へ押していく。3枚がワンセットで100セット。つまり同じ作業を300回繰り返す。「判で押したように」が比喩ではないケースだ。
「なんで先輩がそんなことしてるんですか?」
横では、雑誌担当の契約社員が女性誌へ付録を挟み込んでいる。レジ要員は空いた時間に何をするかも重要だ。
「さっき店長に頼
ハードボイルド書店員日記【222】
「このなかに食器を売ってる店、ある?」
マスクの下で欠伸を噛み殺す平日の昼。レジ誤差が続いている、気を引き締めるようにと店長が朝礼で苦言を呈していた。ミスが増えるのは繁忙期だけとは限らない。
時々考える。早くすべてのレジをセルフへ刷新したらどうかと。その暁には図書カードの引き落としを忘れたり、お釣りを渡し間違ったりするケースは消滅するはずだ。仕事を奪われる? 心配無用。品出しや選書、検品、発注
ハードボイルド書店員日記【221】
「いらっしゃいませ!! お、本屋さんあけましておめでとう!!」
だから、その呼び方は誤解を招く。あともう2月だ。たしかに訪れるのは今年初めてだけど。
職場が入っている商業施設から徒歩数分。雑居ビルの一階にあるラーメン屋へ足を運んだ。L字カウンターだけの空間である。店主とは同世代。たまに雑誌やマンガを買いに来てくれる。
「あれが売れて忙しい?」
「あれ?」
「何賞っていうんだっけ。難しい小説が
ハードボイルド書店員日記【220】
「芥川賞の本、どこ?」
「申し訳ございません、売り切れてしまいました」
発表があった週の後半。何度このやり取りをしたことか。
安堂ホセ「DTOPIA」(河出書房新社)は11月に刊行されていた。3回連続の候補入りである。一応「獲る可能性が高いのでは」と文芸書担当に伝えてはいた。しかし売れ残りのリスクを危惧したか、多めに仕入れることはしなかったらしい。どうせ満数は来ないだろうが。
鈴木結生「ゲー
ハードボイルド書店員日記【219】
「ちょっといい?」
レジを抜ける時間になった。棚登録と在庫データの確認に使うハンディタイプの端末を持ち、担当するエリアへ歩を進める。
文庫棚の前。白髪の男性に呼び止められた。北方謙三「三国志 十三の巻 極北の星」(ハルキ文庫)を開いている。
「いらっしゃいませ」
「これ、この巻で終わり?」
「仰る通りです」
「最後まで書かれてないよね」
「たしかに。三国時代の終焉は呉が滅亡した280年なので
ハードボイルド書店員日記【57】2025年リライト版
土曜。早番が少ない。
必然的に遅番が来るまで抜けられず、昼休憩は14時。エプロンの下のへこみに指を触れ、約束事に囚われた人の身であると痛感した。
「お腹すいた~」
隣で実用書担当が嘆く。茶色い髪をポニーテールにした小柄な子だ。私と同様、土日両方に出勤している。「せめてどちらかは休みたい」と何度も訴えたが「新人が入ったら」「育ったら」とかわされ続けて現在に至る。先日は「『店長ずっと土日休みですよ
ハードボイルド書店員日記【218】
「俺、やめるよ」
三が日の朝。いきなりの告白。客注担当を務める先輩だ。この店がオープンした頃から在籍しているらしい。ずっと非正規雇用だが、彼の意見や発言はある意味で店長クラスの影響力を有している。
「やめるんですか」
「やめる」
「あと一か月?」
「それぐらい」
「やめた後は」
「まだ考えてない」
「いまの感じ、夏目漱石みたいですね」
「『二百十日』だろ」
こんな会話がもうできなくなる。
店
私小説「ハードボイルド書店員の独り言」②
12月25日午前8時。
今日は職場へ赴いて労働をしなくてもいい日。それらのすべてが休日と呼ばれることに違和感を覚える。溜まった家事をこなしたり、お金に直結しない仕事を進めるスケジュールだったり。
労働と仕事は必ずしも同義語ではない。
ハンナ・アレント「人間の条件」(ちくま学芸文庫)を開いた。535ページの訳者解説。こんな文章が記されている。
慧眼。一方アレントや訳者の見解がどうであれ、私は
ハードボイルド書店員日記【217】
「六本入りのペンシル、どこ?」
クリスマス直前の週末。こういう日に限って欠員が出る。一時半に遅番が来るまでは三人体制。どこかにレジを打てるサンタクロースはいないのか。
小柄な老紳士からのお問い合わせ。万里の長城を横目にカウンターを抜ける。六本入りのペンシル? 文房具売り場を案内し、十二本入りの色鉛筆を見せた。
「当店にはこちらしか」
「いや、ある。昨日来たときは置いてあった」
そんなわけない
ハードボイルド書店員日記【216】
東京メトロ銀座線・日本橋駅。
車両へ乗り込む。なかなかの混雑。ラッシュ時ではない。すでに師走も半ばと改めて認識する。トートバッグから買ったばかりの本を取り出そうとし、眉間の辺りに視線を感じた。顔を上げる。知っている女性が目の前に座っていた。
「先輩、お久し振りです」
「久し振り」
かつて同じ書店チェーンの契約社員として共に働いている。やがて彼女は結婚し、埼玉の方へ引っ越しをした。通うのがきつく
ハードボイルド書店員日記【215】
「手軽に得られた情報は忘れるのも早いよ」
メンターは穏やかな笑みを浮かべ、カウンター脇の大きな窓から外の路地を眺めた。
11坪の町の本屋。かつて指導してくれた人がひとりで支えている。いまでも店長としか呼べない。心の中では永遠にメンターだ。
「私もそう思います。一方で、コスパやタイパを重視した『○分でわかる』とか『これ一冊でOK』みたいな本が求められている実情があるのもたしかかと」
「まあ入門
ハードボイルド書店員日記【214】
「103万の壁、変わりますかね?」
木曜の午後。カレンダーを入れる超大型のレジ袋がなくなった。事務所でPCを眺めている総務担当の社員に伝え、カウンターへ戻る。先日はホッチキスの針が営業中に枯渇し、近隣の百円ショップへ探しに行った。忙しいのはわかる。予算が削られているのも。けど兵站確保は戦の前提条件。切れたら終わりなのだ。
文芸書担当の女性に声を掛けられた。
「どうだろう。引き上げられたら助か
ハードボイルド書店員日記【213】
「谷川俊太郎さんの追悼フェアやりたいんですけど」
急に気温が下がった平日の午後。レジを離れて事務所へ。来週の入荷をチェックする。横の席でデスクトップの画面を睨んでいた文芸書担当に声を掛けられた。
「いいと思う」
「ただ読んだことあるのが新潮文庫の『夜のミッキー・マウス』しかなくて。私はけっこう好きなんです。でも」
「ああ」
何が言いたいか伝わった。
「詩集は道徳の教科書じゃないから」
「大丈夫
ハードボイルド書店員日記【212】
朝礼が変わった。
入荷のない休配の土曜、日曜そして祝日は、従業員がオススメの本を紹介することになった。持ち時間は5分で質疑応答も可。異動してきた正社員のアイデアである。ビブリオバトルの経験者らしい。
「あれ、どう思います?」
平日の午前中。年末年始に備え、カウンターでひたすらカバーを折る。隣に入った雑誌担当に声を掛けられた。
「あれ?」
「朝礼の」
「ああ」
彼は次の土曜の担当である。
「べつ