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ハードボイルド書店員日記【217】
「六本入りのペンシル、どこ?」
クリスマス直前の週末。こういう日に限って欠員が出る。一時半に遅番が来るまでは三人体制。どこかにレジを打てるサンタクロースはいないのか。
小柄な老紳士からのお問い合わせ。万里の長城を横目にカウンターを抜ける。六本入りのペンシル? 文房具売り場を案内し、十二本入りの色鉛筆を見せた。
「当店にはこちらしか」
「いや、ある。昨日来たときは置いてあった」
そんなわけない。
「ペンシルとおっしゃいましたよね?」
「そう、ペンシル」
「鉛筆ですよね?」
「だから、こういうの」
黒の油性ボールペンを手に取る。
「そちらはボールペンですが」
「だから、これと同じので色が六本入ってるのあるでしょ」
やれやれ。
黒、赤、青、緑の四色タイプでシャープペンシルも使える商品を勧めた。「これで六色のが昨日あったでしょ」と譲らない。あいにくこのお店にはと説明を続ける。ようやく諦めてレジへ向かってくれた。
引っ掻き回された棚を直し、遅れてカウンターへ歩を進める。身近な人が「だから」の使い方おかしいと伝える方が彼のためではないかと考えつつ。
「ちょっといい?」
文芸書のエンド台の前。年配の女性に声を掛けられた。
「いらっしゃいませ」
「今年発売された単行本の小説で面白いものを、と頼まれたの」
「ええ」
「最後のページに『2024年2月25日初版発行』とあるから、今年の新刊ということよね?」
村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」(中央公論新社)を差し出された。
「こちらは1983年に出たものの復刊です。帯の前面にその旨が」
「私は『今年発売された単行本の小説で面白いものを』としか言われてないの。だったら、べつにこれでも構わないでしょ?」
金縁メガネの奥で小粒な瞳が光を放つ。
「どうでしょうか。一般的には復刊はあくまでも復刊で、新刊とは分けて考えるかと」
「すごく面白そうね。カバーも素敵だし」
他人の話を聴かないタイプだろうか。
「実際面白いです。胸に染みる箇所がいくつか」
「たとえば?」
「220ページを」
こんな文章が記されているはずだ。
それに彼らには解決するべき問題があまりにも多すぎるから、ひとつひとつ解決しようというよりは、なんとかそれと協調してやっていこうというかんじになってしまうのだ。
「ふーん、あなたたちの仕事もこういう感じなのね」
「まあ」
「大変そうね」
もう少しで噴き出すところだった。
「お気遣いありがとうございます」
「私が読む用にも一冊いただこうかしら。他に面白い小説をご存知?」
頭の中で豆電球に光が灯った。
「こちらはいかがでしょう?」
青崎有吾「地雷グリコ」(KADOKAWA)を手渡す。
「今年の本?」
「発売は昨年11月です。しかし今年の直木賞候補になりました。受賞こそ逃しましたが、他の様々な文学賞を」
「そういうのはどうでもいい。村上春樹だって芥川賞獲ってないでしょ」
「おっしゃる通りです」
急に親しみが沸いてきた。
「どういう内容?」
「勝負ごとに強い女子高生が主人公の連作短編集です。ほしいものを手に入れるため、奇抜なルールを課されたゲームを戦って」
「ああ、頭の回転が速過ぎる子ね。現状にはびこる理不尽を許せず、すぐ行動へ移しちゃうタイプでしょ」
「そうかもしれません」
「可愛いのに人気なくて、友達も少ないんじゃない?」
「あるいは」
「わかるわ。私と同じ」
咳払いでしのいだ。
「大丈夫?」
「大丈夫です。ぜひ115ページを」
こんな一文が記されている。
ルールはすべての基本だが過剰な法は世界を狭める。
「そうそう、こういう小説と出会いたかったのよ」
ピンクのストールに包まれた首が何度も前へ傾く。
「なんとなくそんな気が」
「ルールはすべての基本。要はある種の共通言語よね」
「ええ」
「ウチの人、何度直しても筆記用具をすべて一緒くたにしてペンシルって呼ぶの。それじゃ伝わらないのに。近所の文房具屋さんはとっくの昔に諦めてるけど」
もしかしたら。訊ねようとして自重した。
「他にも勝手な定義づけをして言葉を使うから、こっちは大変。イラッとするような語彙を悪意なく選ぶし。たまには反撃したっていいでしょ?」
「それが『中国行きのスロウ・ボート』ですか」
「間違いなく『今年発売された単行本の小説で面白いもの』だから」
「たしかに」
「あなた、絶対私と話が合うわね。色々教えてくれてありがとう」
「どういたしまして」
こちらこそありがとうございます。おかげで疲れが吹き飛びました。サンタクロースが夫婦であっても問題は何もない。メリークリスマス。
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