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私小説「ハードボイルド書店員の独り言」②

12月25日午前8時。

今日は職場へ赴いて労働をしなくてもいい日。それらのすべてが休日と呼ばれることに違和感を覚える。溜まった家事をこなしたり、お金に直結しない仕事を進めるスケジュールだったり。

労働と仕事は必ずしも同義語ではない。

ハンナ・アレント「人間の条件」(ちくま学芸文庫)を開いた。535ページの訳者解説。こんな文章が記されている。

アレントに会ったとき私はこの「労働」と「仕事」を区別する観念をどこで得たのか彼女に訊いたことがある。彼女は「台所とタイプライター」でと答えた! つまり、オムレツを作るのは「労働」であり、タイプライターで作品を書くのは「仕事」なのである。

「人間の条件」 ハンナ・アレント著 志水速雄訳 ちくま学芸文庫 535P

慧眼。一方アレントや訳者の見解がどうであれ、私は「仕事」が「労働」よりも高尚だとは考えない。どちらも欠かせぬ車の両輪。比べる必要すら感じない。美味しいオムレツを作ることのできる人は、目的にかかわらず(自分や家族の食事のためであれ、収入を得るためであれ)少なくともその一点においては作れぬ私にとって尊敬の対象。それだけのことだ。

そして思う。「労働」へ「仕事」を落とし込むことは可能だし「仕事」をすることも「労働」に役立つと。noteに書く「仕事」が書店で働く「労働」と繋がっているように。

つまり「仕事」をすることで「労働」の質を上げられる。逆もまた然り。「仕事」に多くの時間を費やせる「休日」でも掃除等の「労働」はするが、それがいい「仕事」に貢献する。互いに連携し、支え合っている。ライフスタイルは十人十色とはいえ、多くの人がこれに近い生き方をしているのでは? 純然たる休みの日など年間に何日もないはずだ。

大事なことは一点。己の意志で選び取っているか否か。主体性を欠いた「仕事」は「労働」の延長。主体性を欠いた「労働」では「仕事」との繋がりは生じない。これでは両輪の意味がなく、バランスも失われる。

プロテインバーを咀嚼し、900mlのペットボトルからコーヒーを摂取する。PCを起動させ、TVerで「モンスター」の最終回を見た。

産廃物。処理業者。周辺地域で暮らす人々の不調。裁判。謝罪。カネ。手のひら返し。権威主義。メディアの報道を鵜呑み。考えることは常に自分自分。

コイツらアホだと言い切れるほど青くない。誰だって幸せに憧れる。お金もないよりはある方がいい。一方、大多数の人が間違っているという確証を得た際の恐怖と孤独に覚えがないわけでもない。

勧善懲悪? 違う。大企業の悪を描きつつ、被害者側の欺瞞もスルーしていない。

既視感。

読了済みタワーを崩し、イプセン「民衆の敵」(岩波文庫)を取り出す。温泉による観光地化。健康被害の懸念。見直しを訴える開業医は住民にも家族にも理解されない。

一見はメディアやカネの亡者と戦う、ただひとりの正義。実態は異なる。148ページに書かれた彼のセリフで確信した。

正義を有するものはわたしだ。それからほかの小數の人間だ。正義とはつねに小數のみの所有するところのものだ。

「民衆の敵」イプセン作 竹山道雄訳 岩波文庫 148P

「モンスター」と「民衆の敵」が伝えたかったことは? おそらくどちらかを断罪することではない。己の頭で考え、かつ自分とは相容れぬ意見を持つ相手の声に耳を傾け、双方の課題を浮き彫りにし、アウフヘーベンし、未来にとってより有益な道を生み出そうというメッセージだ。

本屋業界へどう応用しよう? インターネットを敵視して「文化を守れ」「本は本屋で買え」と叫ぶ者に誰が賛同するか。国の補助が遅いと嘆くよりもいまできることを。ネット書店の諸々から学び、リアル書店のストロングポイントを打ち出す。紙の手触り、棚の並び、予期せぬ邂逅、コミュニケーション。

他人からは「労働」をせずにダラダラ過ごしたと見做されがちな「休日」。それがこうして思考と煩悶のうちに暮れてゆく。だが私は自分を不幸とは思わない。やりたいことをやっているからだ。徒労だよと嗤いたい者は嗤ってくれ。未来を諦める気はない。

ハードボイルド書店員は2025年もこんな調子。

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