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肉体面&精神面の変化や気付いたこと。

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『体の手入れ(体の根本改善)』を始めてからの、自分の身体的な変化と精神的な変化について、また日常を過ごす中で気付いたことや見えるようになったことを発信しているページをまとめました…
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記事一覧

自分の現在地を把握すること🗺️📍

自分の現在地を把握すること🗺️📍

自分の現在地が分からなくなる時がある。
今、自分はどこへ向かってすすんでいっているのか?
私は自分がたどりつきたい方向へ間違いなく動けているのか?

夏にsupをした時に体感した、波に揺られながら力をこめて漕いでいながら「漕いでも漕いでも全く進んでいない」感覚。エネルギーだけを消費しているような感覚。穴の空いたコップから、注いだ水がとりとめもなくこぼれていっているみたいなあの感覚。

壊れたチェー

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冬は野菜果物をあまり食べない。

冬は野菜果物をあまり食べない。

はたまた本日も、ドーナツを食べたくなり自転車を走らせた。

今日の気分は、生クリームたっぷりの「エンゼルクリーム」目的だ。

クリームを飲んでいる気分がたまらなく良い。

昔より心なしか小ぶりになったドーナツを眺めながら、フィレオフィッシュを思い出した。増税の影響で、全ての物は「値上げ」されるか、「内容量が減る・小さくなる」といった現象が起きている。

そんなことは関係なく、今も昔もおいしいドーナ

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現在の状態から見た、便通の変化。

現在の状態から見た、便通の変化。

便通の変化の話をしたい。
過去、便秘が続いていた日常から快便が通常モードの体質へと変わり、生活が快適になったエピソードがある。

🔽便秘解消までの過去からの経緯。

現在の体感としては主に、生理前の数日が便秘もしくは、お腹を壊しがちといったように、胃腸の調子が少しヨレがちだ。(二日に一便は便秘としてカウント)

そして生理期間は、抜群に便通が良くなる。
1ヶ月分の、不要なものがまとまってデトック

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性的な快感の変化について。

性的な快感の変化について。

今回は、性的なことに纏わる話になります。

性的な快感とは、それを得られる体なのか?そうではないのか?によって、感じ方が変わる。

子宮辺りの筋肉が硬い状態だと、性の快感を感じられず不快感や痛みで性的なことを『いいもの』と思えない。

『性欲』とは、“人間の3大欲求”と言いながらも、しなくても生きていけてしまうからか、後回しにされがちな欲求として捉えられているように思う。

そして実際私も、長年「

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人生を経験できるこの体はひとつしかない。

人生を経験できるこの体はひとつしかない。

読書で出会った小説より、素敵な言葉をお借りして『身体の大切さ』について話したいと思う。

※以下、『赤と青とエスキース』青山美智子さんの作品ネタバレを含みます。
また、小説の内容説明などはしていません。

生きていく度に、自分が意図的に変えたいと決意したことだけでなく、勝手に起こって来る色んな節目から「さて、これからどうしていこうか?」と自分へ問われることは多々ある。基本的に選択は限りなく自由で、

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他人は置いとけ、自分の幸せだけを見よ。

自分の欲望を、何かと理由をつけて見て見ぬふりをしてはいないだろうか?
たとえば、「もう十分恵まれているから」といって本当に自分が『欲しい』と思う気持ちにフタをして押し込めてはいないか。
「こんなにある」は、自分の幸福度を満たすための視点になり得るが“満たされていない”段階での「自分はこれでいいんだ」といった思いは、自分の人生を諦める言い訳として使っているように思える。

自分より、過酷な状況や大変

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幸福度は外側の「ある」では決まらない。

私たちの『しあわせ』と感じられるものは、外側の「何か」が決めているわけでない。
“外側”とは外見の容姿、生まれ育った環境や所属コミュニティ、友人関係などを含めたいわゆる第三者が外側から見て「恵まれている」と捉えられる条件のことを示すが、その「外側の条件」とその人間の『幸福度』は必ずしも一致しないのだ。

その人の心の状態・身体の状態によって、その『しあわせの感知度』は上下するからである。

私はビ

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人間は皆クソ野郎

生きてる人間は地球上のほかの生物から見ると、皆んな揃ってクソなのではないか。
迷惑で、残虐で、自分達のことだけしか考えていない。最高に自分勝手で最低な生き物であることは否定のしようがないはずだ。
意図的ではなくとも、生きていくために森林を伐採し自然を破壊して家を建て、動植物の命を頂き生命を保っている。
そんな我々が“綺麗”だとか“美しい”などと唱えているとしたら、それは最上に傲慢なことなのかもしれ

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なにもしないこと

皆、“なにもしない”時間というのは、どれくらいあるだろうか。
わたしは一日のうち、3じかんはこの時間をすごしている。

“なにもしない”が与えてくれる回復力はスゴいものがある。『自分を自身に戻す』時間だ。
最初はこの“なにもしない”はとてもレベルが高くて到底できっこないように思えた。

ただ空の雲の動きを眺めたり、自分の今いる空間のなにかをみつめたりと、頭もできるだけ空っぽにするというだけなのが、

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対面できない“自分”という存在をみつめる

自分とはこれだけ近しい存在でありながら、自分の顔を鏡やレンズを通さずしては見ることができない。
自分のことを分かってつもりになっていながら、自分をよく分かっていないということはとても多いように感じる。

人間は成長していく過程で「自分とは、こう言う者である」といった“名称”をたくさん身につけていく。役割とも呼べるものかもしれない。
そのいつのまにか担った“名称”を「自分」だと勘違いしやすい。
「自

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苦労に縁のある人・ない人 “苦労は人生換算ではない。”

“苦労というものは若い間にした方がいい”といった言葉があるが
私は、最近人と話をしていて思ったことがある。

そもそもだが、「苦労が多い人生」を歩む者と、「苦労が少ない」人生を歩む者が存在しないか?と。

「若い間にたくさん苦労をしたから、ここからは苦労なしね!」みたいな人はあまり存在しないように思ったのだ。
実際、苦労が途切れない人と、はたまたどの時代の話もずっと幸せそうな人とがいるように思う。

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『本来の望み』と「理想」のちがい 我のままに生きる

自分の本当の望みを知っている人は意外と少ない。
今自分が抱えている夢や願いが100%自分の内側から出てきた想いであるのか?ということは自分ですらも気づいていなかったりするという話。

どういうことかと言うと、たとえば今「結婚をしたい」という願いを持っていたとして、それは他人や世間からの影響を全く受けず自分の内側が望んだから抱いた願望なのだろうか?ということだ。
30をボーダーラインとして考えている

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人生は伏線回収“自分次第”は自動ドアではない。

人生が自分の望む展開へ動いていくのは、はじめ自動ドアではなく自分が主体的に行動していくことから始まると感じている。
人生は伏線回収だから、動けば伏線がどんどん張られていく。
それが回収されるのは数年後かもしれないし、もっと先かもしれない。だけど動いた数だけ、やはり先々になってみて答えがわかることがある。

そして動き続けることによって色んなことがつながって来る。

動いてみないと、始まらない。

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「被害者」の対に居るのは『創造者』

コインの裏表のように、「善い」と「悪い」
「美しい」と「醜い」、「高い」と「低い」
「浅い」と「深い」、「濃い」と「薄い」といった裏返しの概念を示す言葉がある。

一方で「好き」の裏返しは「嫌い」だが、対極に存在するのは『無関心』だ。
コインは裏返せば変わるが、無関心の領域には感情が存在しない。その対象へ興味がないことを意味する。

では、「被害者」の裏にいるのは「加害者」で間違いないが、この対極

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