自分を見ているつもりが他者を見ていた。他者を見ているつもりが自分を見ていた。完全一致も完全不一致もないとはいえ、見ている世界は自分の意思と一致している方が良いと自らの魂に言い聞かせる。問題のすり替えは自分の首を絞める。息苦しさはきっと見ている世界が違うのだ。魂の声に耳を澄まそう。
恵方巻きを食べるのが1年の行事の中で何よりも好きな娘。「あんたは食べないん?叶えたい願い事は?」と聞かれて、そういや、願わないなあ、私。と思った。諦めてるとかじゃなくて「やりたい、欲しい」が無いからだ。いいと思う。私。
周りに誰もいなくて寂しい時、自分の内側にある物に頼った方が良いと思う。外に頼るのではなくて。結局、人やお金や物よりも自分の心の奥底にあるものに頼るべき。その方が立ち直りやすい。鬱病とか心の病を患っている人は辛いと思う。それでも、結局は自分で自分を癒やすしかない。自分を信じるのみ。
雲ドーム カメラにうつる 雪のタマ
魂を死なせない言葉 「だったら、こうしてみたら?」と言い続けている限り、魂は死なない。 やったことがないからできない、なんて言ってはいけない。 人は、「やったことがないこと」「知らないこと」としか出会わない! (植松努さんの言葉より引用) 言葉は自分の魂を輝かせるために使う。
「自分なんて」と 思ったことのない人なんて きっといない。 「すごいな」と思える あの人だって きっとたくさんの夜を超えてるんだ とわかれば、 もう一歩進めますよね♪ 『本当の自分』と対話すると、 その先にするっと進めるから 「どの声に耳を傾けるか?」 はとても大切。
自分『もう前には進めないかもしれないな。』 自分の奥底の声『後、一歩か二歩だけ進んでみよっか❓️そこで、失敗したなら、別の道に進めば良いじゃん❗️失敗しても君と私は一体であり、引き離せない。』 自分『じゃあ、もう一歩だけ進んでみるね。』 最近、こんな感じで生きている様な気がする。
伝わる奇跡を 生きられることが 「幸せ」の本質なのかもしれない。 人と生きていく限り、 「幸せ」の中身はきっとシンプル。 そして それ以上のヘンな欲を削ぎ落とせることも また倖せなこと。 その上で、「純粋な欲求」を生きること。 それがきっと、魂の道に繋がるんだね。