感じて、ニーズを受け取る そのニーズを叶えたり、満たすには今の自分に何ができるのかを考え、トライする そして体験が来て、そこでまた感情が湧く ニーズが満たされたら快、 満たされなかったら不快やモヤモヤを感じる そこでまたその気持ちを感じて、ニーズにつながる その繰り返し
なんで対話を学んでいるのか? 人と人が安心してつながり、自然や多様な生物、一人一人が安定した状態で創り出すものが平和や自然を守ると思うから 即座に判断、評価、否定するのではなく、お互いの内的世界をじっくり聴き合うことができたら、違いの在る私たちが安心してつながれると思う
脳、神経、身体、心がどんな衝撃を受け、どんな状態なのか?ここを無かったことにしたり、切り離すことはできない。でも社会的に受け入れられないと感じ、そこを対話できないことは多い。でも在るものを扱えない限り、残り続け、無意識の中に在る信念や真実には届かないし、それでは現実は変わらない。
脅しからサバイバルモードになって取り組むんじゃなくて、安心して、自分の好奇心や情熱から取り組むほうにシフトできたらいいなと思う。 でもそれには社会や職場、学校、家庭なもさまざまな場面でたくさんの問い直しが必要だと思う。自分や人への関わり方や声かけを観察していく必要が在ると思う。
昨日『今日斬り』忘れてて、朝から聴いてる。 本当に人は誤解で関係性が難しくなってしまうなと思う。求めてることは同じなのに。でも自分の痛みとその裏側に在る願いを感じられたら、本当は相手の中に在るものも感じられるなと思う。 自分を感じないと、人は感じられない。感じた分だけ感じられる。