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数秘:マスターナンバー33は、「べき」から「願い」で生きる
職場で、いつもイライラしている。家庭で、いつもムカムカしている。
そんな「感情」が沸いたとき、「ダメダメそんなことでイライラするなんて・・」と、大人な対応をしていると、いつまでも自分の力を発揮することはできません。
大人な対応をしているということは、「反省」してますよね?
「反省」するということは、「自分はまだまだだ。」=ダメだと、自己否定を繰り返していることになるんです。
そうじゃなくて、「内省」するんです。
イライラするなんて、自分の中に、何があるんだろう。そう考えることが内省です。
世間一般では、反省する。そして、それを繰り返さないように改善する。
ということが、さも正しいことのように思われていますが。
それは、「幻想」じゃ!!
感情に左右されずに、常に良いことをしようとする。これって、マシーンですよね?そう考えると、怖く思えてきませんか?
悲しいときだって、うれしい時だってある。両方ある。
良いときだって、ダメなときだってある。両方ある。
それが、自己受容(こんな自分で良い)につながるんです。
好きなことがない? やりたいことがわからない?
(まあ、自分もそうでしたが・・・)
そりゃそうだ。だって、自分で自分をわかろうとしていないんだから。
そして、「正しいこと」=良いことにしちゃうので、
誰かの役に立ちたい という漠然とした思い(一向に具体的にならない)
平和であってほしい という否定できない思い
どこまでいっても、外の話ばかり。
芸能人が不倫・政治家が不正 ⇒ 許せん。品行方正であるべき。
上司がバカ ⇒ 許せん。きちんとすべき。
と、相手のせいばかりになってしまうんです。
この「べき」ですが。
自分に置き換えてみてください。
私は、品行方正であるべき。
私は、きちんとすべき。
どうでしょう。「そうだそうだ」と思う気持ちもあれば、「自分もできているかな・・」と思う気持ちもでてきませんか。
ごみを分別せずに捨ててしまうときもあるし、できないこともたくさんありますよね。
この「べき」ばかりに意識があることは、自分を縛りつけていることにもなるんです。
上記の「べき」がある人は、自分が「芸能人や政治家はたまた、上司(リーダー)になる。」となった場合のことを想像してみてください。
素直に喜べない自分がいるんじゃないでしょうか。
だって、怖いですよね。自分が常に、品行方正で、しっかり者であることが求められるとなれば、そんな挑戦はしないはずなんです。
挑戦できないということは、可能性を潰していること。
やりたいと思ったことも、きっとやらずに過ごしてしまいます。
つまり、自分をパワーダウンさせているわけです。
一人ひとりの中には、膨大なパワーがあります。(私はそう信じているし、実際にそうです。同じ人間なんて一人もいないんです。役割があるから存在しているんですから)
そのパワーを発揮するには、自分の「願い」に気づいて、その「願い」から行動する必要があります。
さきほどの「内省」は、イライラ・ムカムカしたとき、「私って何でこうなの?」という問いではなく。
「私が、こんなに感情的になる理由ってなんだろう?」にかえて、本当は〇〇であった欲しかった。というニーズ(願い)を探していくことなんです。
そこにあるのは、欠点じゃないんです。ダメな自分じゃないんです。
願いなんですよね。
どうですか。願いなら、自分の中にあってもいいですよね?