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心の中のモンスターは、幼くて優しいいつかの自分かもしれない。

自分のいのちから湧き上がる素直な感情、こうしてみたいとか、自然とそのようになろうとするエネルギーを、いや、そんなこと言ったらこう思われちゃうかもよ?やめとこうってぐっと押し戻すちからがある。

この気持ちを伝えたいと思うのにぐっとやめさせようとするちからや、ほんとはやってみたいと衝動的に思うのに危険だよって引き留めるちから。

そういう存在がだれの心にもあると思う。

それをキャラクターとしてモンスターと呼んでいるのだけど、でもモンスターは悪いやつとは限らない。

そのモンスターはなんて言ってるの?どんな感情なの?

排除しようとか対峙しようとするんじゃなくて、モンスターそのものになってモンスターの感情を感じてみる、というカウンセリング的なアプローチの仕方を、今受けている講座でおしえてもらった。

わたしは、なにか素直な気持ちでだれかと一緒にいようとする時(甘えるとか近づくとか、気持ちを伝えたくなる時とか)に、
不快に思わせたらどうしよう、避けられちゃうかもと不安になったり、相手にとって良い自分でいようとする癖がある。

それにはだいぶ前から気づいていて、でも心の奥でやっぱり、わたしはわたしで、あなたはあなたで、受け入れあって一緒にいたいという人といることへの願いがあるとわかっているから、
そういうふうに生きたいと思ってきた。

そうなるとその恐れはなんとかして克服したい気持ちで、なんでいつまでも怖がっちゃうかなーと思っていた。

でも今回その、モンスターになってみるというアイディアをもらって、感じてみたら。

台所に立つお母さんの背中をちょっと後ろから心配そうに眺めている小さな背中を感じた。

お母さんににこにこしていてほしくて
いま自分がこうしたら、お母さん怒るかな?って思っているような。

でも、そこに怒りはない。
さみしさはあるけど、ほんとに、お母さんが大好きでにこにこしててほしいような、お母さんどうかな?って心配してる純粋な気持ち。

怖がりなモンスターを、弱くてずるいいつまでもぐずぐずしてるやつだと思ってた。

でも、ただただ、お母さんが大好きな優しい子だった。


心の中のモンスターも、いつかどこかの、わたしなんだ。
周縁化して、光の当たらなくなった、弱い、悪い、いないほうがいいとラベルを貼って片付けられてしまった自分。

でもみんな、生きようとして、なにかを大切にしようとしていた自分だから
克服しようとする前に、どんな気持ちなの?どう思うの?感じてあげるといい。

わたしも小さいわたしのお母さんが大好きで心配な声が聞こえたら、そんなにじゃあどうする、という解決策が見えたわけじゃないけど、ああ、そうなんだなあという深い自分の心とのつながりには、不思議とほんとうに満たされた。安心する。

そしてきっと、わたしはその小さな子に、「もう大きくなったから、お母さんとも、今出会ってるたくさんの人とも、話し合ったり聴き合ったり、思い合ったりできるから、大丈夫だよ。」と伝えると思う。

いつかのわたしの気持ちも抱きしめて
でも今は、お母さんが怒っちゃったら終わりな無力な幼子ではなく、「わたしはわたしで、あなたはあなたで、ともに生きたい」と願ってるからそうやって生きてみる、ということができる大人としてのパワーも使いながら、過ごしていきたい。


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なつき
読んでくださり、本当にありがとうございます🌷 サポートをいただいた場合は、心を動かす体験に代えて、文章を書きます。