うん、イヤなことだって、始まれば絶対終わりが来るって!!
昨日帰ってきて、湯船を出たら足の裏の皮がひと皮むけた。あんなに朝まで元気に咲いていた百合が全部役目を終えていた。それらをみた瞬間、あ〜またここでいまの章は終わり、新たなステージが始まるんだなぁと。まだ見ぬ世界、まだ見たこともない、まだ知らないわたしに出逢う旅が待っている。楽しみだ
だって、わたし、中間地点。終点があるの 。いつも、しらないとこにある。それでも、必要だと思うから。わたしは、いつでも、中間地点。
今日は久しぶりにピノ・ノワールを飲んでる。熟成されたものではなく、デイリーでラズベリーみたいな可愛らしいものを。秋になると、ヨルシカの「パレード」が聴きたくなる。2年前にkと出会った時にこの曲を聞いて、「何かが」終わり、「何かが」始まったと感じた。ありがとう、私と出会ってくれて。
今回のペタ活。ただ闇雲に張った。途中。ていうか終わりって何だ。どこから始まって、どこで終わるのか。死んだら終わりか。どうかも定かじゃない。そもそも、いつから始まってたのか。いつでも途中。一番始まりの始まりと終わりの終わりを体感してみたい。よーな。既にしてたりするカモ。鴨。好き。
全ての物や人、出来事には必ず終わりが来る。文明も同じく興隆し衰退する。 誰かの意思ではなくもはやそうなる様に仕組まれているのかもしれない。 漠然と自分が死んだ後のもっと先の未来を想像してみる。 今の人類は果たしてどこに向かい、その先になにを見るだろうか?
終わりは始まりの手を引いて言いました。「あとはよろしく」始まりは終わりの手を引いて言いました。「さみしい」終わりの切なさが始まりの手のひらにほんの少しだけ残って、それはキラキラと輝くのでした。どうか、その輝きを糧に進んでほしい。そしていつか、始まりも終わりになる。その時は輝いて。
始まりがあれば終わりがある。わかってるけど、終わりを迎える覚悟をするのは難しい。覚悟が必要なのは、未来を見ているからかもしれない。今だけ見て、今の中で生きてたら、避けられない今として受容できるのかな。焦点を未来でなく今に置いたら、期待と死への恐怖という2大ゴミを手放せるのか?