終わり、幕引き
物事は始めるときより,終わらせる方がずっと難しい。
このところそう感じる機会が続いた。
初めは勢いがあればどうにかなる。そして慣性の法則のように,一度軌道にのったものをとりあえず惰性で続けるのはそんなに難しいことではない。なんとなく途切れさせないようにしていればいいから気持ち的にも楽だ。
でも終わらせるにはそれなりの意思と行動力が必要で,軽い決意ではすぐに揺れ動いてしまう。惰性とか情って便利な言葉だなと思うけれど,そういうものにひっぱられてしまうんだろうなと思う。
いつかは決めないといけないのに先延ばしにしたくなる。
とりあえず今だけは,って目を瞑りたくなる。
堂々めぐりをくりかえして,もういよいよどうにもならないところまできて,やっと決心がつくのかもしれない。そこまで追い込む前に決められればいいんだろうけど,当事者にとってはそんなに簡単に決められることではないというのもわかる。
現状維持でいたいけど,根本的な解決にはならない。
何かを得るためには何かを捨てなければならない。
それが簡単に決められれば苦労なんてないのだ。
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まだ何者にでもなれる年齢だった頃,一つ間違えてもいくらでも選択肢があるような気がしていた。無敵とまではいかなくても,次から次へと生える脇目のように,新しい道は無限にあると思っていた。
ただ,新しい道は年齢を重ねるごとに少しずつ減っていく。
そしてだんだんとないものを追うよりも,今持っているものをどれだけ大切にできるかという方向に気持ちもシフトしていった。そうなると,持っているものを簡単に手放せなくなるのだ。今と同じかそれ以上のものを手にすることがどれだけ大変かわかっているからこそ,どんどん臆病になるのかもしれない。
それでも手放さないと手に入らないことも知っている。
終われない人は始められない。そのうち,ずるずると引き伸ばしすぎて何をしたいのかわからないドラマの最終回のようになってしまう。
引き際が美しい人でありたいと思う。
出番が終わっているのにいつまでもステージに居座るのではなく,すっと引ける人は潔くて美しい。
綺麗事かもしれないけれど,そうありたいのだ。