生理が教えてくれたこと
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことだけど、
生理が酷かった。
毎回、なんでこんな目に合わなきゃならないんだと思うくらい。生理痛の世界大会があったら、地区予選は軽く突破する自信はあった。
例えば、、
通学途中の最寄り駅(渋谷)で動けなくなって
駆け込んだ喫茶店のトイレを2時間以上独占して店の人に怪しまれたり(何を?)
また別の日には、何とか家までたどり着けたものの、学生証の入っていた財布ごと落としていたことに警察から連絡があるまで気が付かなったり。
ソレに襲われると、
痛みに堪えながら布団までたどり着き、倒れ込むのがやっと。敷いてある布団に入るために身体を動かすことすらできない。まるで体内に化け物でもいて、定期的に暴れる嵐が通り過ぎるのをひたすらエビのように身体を丸めて待つことしかできなかった。
とにかく、体だけでなく脳や心のすべてが機能不全に陥る。やりたいこと、やりかかっていたことすべてに急停止(Halt)がかかるのである。
というわけで、
1ヶ月周期のその苦行、私の人格形成に与えた影響を無視することはできない。
大袈裟だね。でも本当だから仕方ない。
Before生理とAfter生理で、私は変わっていった。変わらざるを得なかった。
生来の「のんびり」「おっとり」気質には退却してもらって1ヶ月ごとに襲われるそのタイミングに合わせて、来るべき物事の予想、準備をしておかなければならなくなった。(幸い周期は正確だった)
そう。
思えばあの頃、生理が教えてくれたのは「締め切り」という概念だった。
でも何で今さらそんなこと
思い出したのかって?
はい。
別に生理痛自慢をしたいわけじゃあないんです。
身体の(変化)から教わることって侮れないなと、最近しみじみしていて。
気がつくと
あの頃私の体内であんなに大暴れしていたイノチは、いつの間にか息を潜めて(または私の身体を通り過ぎて)すっかり静かになっている。それどころか近頃はぜえぜえ青息吐息じゃありませんか。
半世紀ほど前、私を痛めつけていたあの生理という奴が気づかせてくれたのは、やりたいことには締め切りがある、ということだったけど、、、今の私、
もうひとつの締め切り、つまり人生には始まりと終わりがあるのだなと、身体で思い当たっているんです。
こんな当たり前なこと、頭では知っているつもりでも、身体はわかっちゃいなかった。
身体を持って生まれた人間には、身体を通した体験でなければ沁みないものってあるんだなと。
時間が教えてくれること。
そう、人間には身体という締め切りがある。
ふと、
流行りのAIやロボットに、こんな気づきってあるのかしら。
肉体(生理)の無いロボットや、締め切りの無いAIの知識(正解や不正解)は、人間にとって万能なのかしら。
なんてまた、余計なこと考えている。