「始まりと終わり_EP1」
※この短編は、始めと終わりの一行だけを先に決め、中身を書いていく遊びをした際のものです。
【始まり】
「お腹減った」
【終わり】
こんなキス、二度としたくない。
――――――――――――
EP1**
「お腹減った」
少し前を歩く彼に届くよう呟く。
ほんの少し前、ホテルのベッドで一緒に寝ていたはずの彼に起こされ、気づけばこうして夜の繁華街に繰り出していた。
「そろそろだから、ほら頑張って」
振り向きなだめる彼に、わざと口をとがらせ、ぶーたれて見せる。
別にご飯なんてホテルで食べればよかった。
ルームサービスをつつきながら、勝手気ままに酒をあおる。東京最終日の夜は、二人きりフカフカのベッドで過ごせた方がいいに決まってるのに。
「あ、見えてきた。ほらあの店」
彼の目線の先にあったのは、シックで落ち着いた雰囲気の建物だった。
手を引かれるままに近づくいていくと、なんて書いてあるのか分からない店名の横に、これまたミミズが並んだような字で『しゃぶしゃぶ』と書いてあった。
「いらっしゃいませ」
彼の後に続き抜けた自動ドアの先で、上品に着物をまとった女性が出迎えてくれてた。
少しも崩れずにまとめあげられた夜会巻き、キッチリと着付けられた着物、どことなく漂う色香。
東京のオシャレなお店の女将さんと呼ぶにはぴったりすぎるほど完璧な出で立ちであった。
「二人なんですけど、空いてますか?」
「もちろんでございます、どうぞ」
彼は女将さんの返事を受けると、空いていたことが奇跡とでも言いたげに、私を見つめ静かにはしゃいで見せた。
「お足元気をつけてくださいね」
和風庭園のように飛び石が連なる道を、案内されるがままに着いていく。
店内の奥へと暗く続くその道には、規則的に行燈が置かれ、ぼんやりと周囲を照らしていた。
「こちらでございます。それではお水をお持ちしますので、メニューをご覧になってお待ち下さい」
女将さんが部屋の戸を閉め、品のいい足音が離れていく。
「へー…しゃぶしゃぶかぁ、久しぶりに食べるな」
「いや実はね、しゃぶしゃぶじゃなくてすき焼きはどうかなって…赤ワインにもすき焼きのタレって合うよね?」
すき焼き。好きでも嫌いでもない。
子供の頃は自宅ですき焼きをやる習慣の無い家で育ち、大人になった今も外食ですき焼きを選ぶことはない。だからといって嫌いではなく、食べる機会が極端に少ないのだと思う。
「すき焼きね、いいじゃん。じゃー重めの赤にしよーっと」
私の反応を見て、嬉しそうな彼の表情。
すき焼きが好物だったなんて、知らなかったな。
注文を取りに来てくれた女将さんにニコニコと注文をする彼の横顔を眺めながら、冷たい水を一口含んだ。
「お待たせいたしました、こちらでお作りいたしますので少々お待ち下さい」
私たちは、先に頼んでいた春野菜の天ぷらをつまみながら、いい気分で飲み始めていた。
ついさっきまで、タラの芽のほろ苦さが美味しいだなんて騒いでいた私たち。
女将さんが石鍋に肉を置いた瞬間、部屋中に広がる美味しい音と匂いへ釘付けになり、思わず二人息を飲んでしまう。
「え、ちょっと待って、この肉すき焼きで食べるの?」
覗いた石鍋の中には、きれいにサシの入ったステーキ肉が置かれていた。
通常、すき焼きの肉ってのはヒラヒラの牛肉だと、馴染みのない私だって知っている。それなのに、目の前で表面を焼かれているのは、分厚い赤身のステーキ肉だ。
「そう、やばくない? ここのすき焼きの肉はこれなんですよ…表面だけ焼いたらレアなまま置いといて、すき焼きが全部できたらカットした肉を割り下にさっとつけて…あ、生卵は絶対ね…」
手際よく作っていく女将さんも、彼の力説ぶりに思わず微笑む。
分厚い肉のすき焼きなんて見たことない…すき焼きなんて、と高を括っていた私もよだれが溢れて止まらない。
「はい、これで少し煮えたらこちらのお肉を入れて召し上がってくださいね、ではごゆっくり」
女将さんが襖を閉める音を合図に、私たちはグツグツと音を立てて煮える鍋に飛びついた。
私は逸る気持ちをおさえつつ、カットされ綺麗に並べられたお肉を一つ箸でつまむと、濃厚そうな割り下に沈めていく。
「もういい? もういいよね?」
「いい、いい! レアでいって!」
彼の指揮に従い、ほんの数秒泳がせた肉を引き上げる。表面をまとう甘いタレがより一層肉を輝かせ、私は思わず生唾を飲み込んだ。外側から見てもまだまだレアだとわかるお肉を、流れるままに生卵へダイブしてから一口でほおりこむ。
「…んーーーーーーーー!!!!」
「なに? 熱い? やばい? うまい? 」
彼の言うこと全てに頷きながら、溢れ出る肉汁と甘いタレ、まろやかな生卵の完璧なハーモニーに酔いしれた。
その後も私たちは勢いよく食べ続け、鍋はみるみるうちに空いていく。一足お先に満腹をむかえた私は、一つ残さず平らげていく彼の姿を肴にグラスを傾ける。
私は彼の食べる姿が好きだった。
一口が大きくて、両頬を膨らませモグモグと動く口元は、それだけでずっと見ていられた。
私が残したご飯だって、どんなものでも美味しそうに食べ尽くす。
キスだってそう。最初は薄く開く唇が、直に大きく開き、必死に私を求めた。もうあれは捕食していると言っても過言ではない。だって、切なそうに垂れる眉毛でキスをする彼を前に、あの時の私はその身すべてを差し出していた。
「……よく食べるねぇ」
自分のことを言われていると気づいた彼は、相変わらず頬いっぱいに詰め込んだ可愛い顔でこちらを見上げた。
「あーまた俺の食ってる姿に見惚れてたんでしょー?」
「ふん、よく食うなーってだけよ」
ほんとすごい食欲。
今日が私に会える最後の日だってのに。
…よく食えるなこんな日に。
私たちは遠距離で関係を続ける、浮気者同士だった。
東京在住の彼には彼女がいて、地方在住の私もまた、その地に帰れば直に夫となる彼がいる。はれて、私の婚約が決まったのだ。そして、終わらせなくていけないこの関係に、区切りをつけようと打ち明けた。
元々わかっていたことだし、彼だって彼女がいる。おかげで私たちは揉めることもなく、二人で過ごす最後の三日間を楽しめたわけだ。二人ともあっさりと楽しめる相手を求めてたし、なんだかんだ長く続いたのはこういうところも気が合うからだと、思う。
でもさ、ちょっとはこう…なんていうか、切なくてしんみりするかなって思うじゃん。
この三日間、古くからの友人と過ごすかのように気兼ねなくはしゃぎ、ご飯をもりもりと食べ、お酒なんて海賊のように浴びた。色っぽいことなんて一切なし。あ、でもこの東京旅行中、彼と一度だけセックスをした気もするが、それすら酔っ払っていて記憶に薄い。
そうか、まぁこんなものか。悲しい別れではない、それでいいじゃないか、私。
「あーーー食ったぁーー…もうむり動けない」
「うっわ…何も残ってないじゃん、すき焼き好物だったんだね? 知らなかったよ」
「いやまぁうまいけど、好物って言われると別にそこまで…」
苦しいお腹に手を当てて、座椅子に身を任せる彼の視線は記憶をたどるように遠くを見つめる。
「ふーん… よく今日ここにしようって思ったね、気分だった?」
「んー、まぁ…」
「……何? 何か意味ありげな言い方…」
「いや、別に…」
「………」
「………」
何よ、急に。さっきまであんなに和気あいあいと鍋をつついていたじゃない。
急に黙り込んじゃって。気分悪い。
「まぁいいや、行こう。明日の朝早いし。新幹線ほぼ始発なんだ」
「……うん」
「別に、今日はホテル泊まんなくてもいいよ。どうせゆっくり寝れないだろうし」
「………」
「…聞いてる? 今夜は一人で泊まるから」
「…いや、俺も行くよ」
「いいよ、まだ終電あるでしょ? 彼女のとこ行ってあげればいいじゃん」
「なんでそんな事言うの」
「だって急に変な感じになったのは和也じゃん! …こうやって一緒にご飯食べるのも今日が最後なのに…」
あぁ、なんだろう。なんだかムキになってる私。
元はと言えば煮え切らない態度の彼が悪い。
さすがに三日目だから、彼女だってあまり連絡の取れない彼を心配しているかもしれない。私だったらする。だからそう思って、言っただけだもん。
「………」
「………」
「…ごめん…でもホテルには行くから」
「…じゃあもう行こう、シャワー浴びたいし」
会計を済ませ、綺麗な女将さんに笑顔で見送られる。
また来ます、喉まで出かけたその言葉。言わずに飲み込んだのは、地方住みの私が気軽に使う場所ではなかったことと、今日が最後だと、知っている彼が横にいたから。
夜の繁華街。彼の横を黙って歩く。
ご飯に向かうまでの私達が嘘みたい。
こんなにきらびやかな街の中、私達二人だけ、今から心中でもするかのよう。
彼との思い出は、いつでも笑っていた。だから最後も、できれば笑顔で別れたい。
「……ねぇ、俺がすき焼きにしようと思った理由なんだけど…」
急に話し始めた彼に少し驚くも、返事をしないまま、静かに耳を傾ける。
「今日さ、俺のほうが先に起きて、横で寝てる香織みたらさ…どうにかならないのかなって思ってさ…」
「…どうにか?」
「いや、無理なのわかってんだけど、ホテルってさ非日常じゃん? そんな空間で毎日香織といたら、このまま一緒にいるにはどうすればいいかなって…考えちゃってさ…」
「………」
そんなこと今まで一度も聞いたことがなかった。
趣味の合う特定の遊び相手として細く長く続いた私達の関係で、彼が私のプライベートに関わるような話しをしたことなんて、一度もなかった。
それは、割り切った関係だったし、そういう人だと思っていた。
ドライな人なんだと、思っていた。
「今俺は一緒にいるけど、ここで離れたら本当に終わりなんだよなって」
「………」
ホテルまでの道のり。きらびやかなネオン街、小さな歩幅で進む私たちは二人俯いたまま、ひどくこの街には不釣り合いな気がした。
ホテルにたどり着くまでの時間、シャワーを浴びるまでの時間、タバコを吸い終わるまでの時間、抱き合い眠るまでの時間、外が明るくなり彼の腕の中で声を押し殺し泣く時間、私たちに残された時間。
不釣り合いな私たちさえも取り込んで。いっそのこと東京という背景になってしまいたい。
「……あーーー! いや、ごめん! なんかこんな感じになってしまった…!」
「……ううん」
「楽しく過ごそうと思って、それだけだったんだけど…まぁ何だかんだ長いしね、俺たち! 思い出もそこそこあるからね、しんみりしちゃったよ! 最後はこんな感じにならないようにしたかったんだけどなー…はーあ…!」
「………」
バタバタと身振り手振りを繰り返し、一人饒舌に喋り続ける彼。
ギリギリ進んでいた歩幅も、いよいよゼロとなる。
「いや、だからさ、まじで重く捉えないでほしいんだけど、香織と過ごした時間は楽しかったし、大事な人だから、結婚決まったのもちゃんとお祝いしたくて…だから…」
「わかった、わかったから、もういいよ…」
「………」
ホテルまでもう少し、人気のなくなった路地裏で、私達二人は立ち尽くしていた。
大人二人が集まって、次の言葉が出てこない。
何か、何か話さなくては…
「あ、そういえば…」
「ん? なに?」
「すき焼きにした理由…結局わかんないんだけど…」
そういえば、彼はすき焼きにした理由を話しはじめていた気がする。
結局のところ、話は脱線し未だ分からずじまいだ。
「………」
「……あれ? 和也…?」
俯いたまま固まる彼の肩に手をかける。
春の夜はまだ肌寒い。彼の羽織っている厚手のパーカーは、少し冷えていた。
「……寝てる香織の顔見てたら、言ってみたくなったんだよ、俺も…」
「……?」
「……『好きやき』って、でも俺全然似合わなくて、香織が寝てる時でよかったって思ったんだけど…そしたら何となく『すき焼き』が残っちゃって……はぁ、…はずっ」
顔を背ける彼の耳を見て、私はどこまで遡れば人生が変わっていたかと考える。
運命なんてのは、簡単に変えられるものではなくて。そこにたどり着くまでの選択を繰り返してきているだけ。だから、やりなおした所で結局私はここにいる。
今のこの人生、顔を見られないように必死に隠すこの男を愛しいと思えている今が、たどり着いた運命なんだから、これ以上ない。
「………やき、すき焼きにしたちこと…?…バカやないが…」
「……え?」
「バカや言うてんのよ! そがなん…直接私に言うたらええのに!」
「………ごめん」
夜、繁華街の片隅で方言丸出しのまま憤る女と、謝る男。
ぶつけようのない愛が、静かな路地裏でこだまする。
「………」
「………」
「………」
「………言うてよ」
「え?」
「言うてよ! 好きだって!」
栓を抜いた途端、この三日感で溜まってしまった感情が止まらない。
溢れて溢れて、自分で止められる気がしない。
急な私の勢いに戸惑う彼は、照れくさそうに小さく呟いた。
「え……いや、だから……『好きやき』…」
「はぁ?」
「『好きやき』…」
「なんでよ、なんで土佐弁なのよ! …変ちや、下手過ぎ…発音変じゃき……ええじゃん…標準語で…「好きだよ」って……和也の言葉で言うてよぉ……っ」
だめだ、もう止まらん。声を絞り出そうと力を込めると、込めた分だけ涙が溢れる。かっこ悪い。ギャーギャーほたえて泣いたりして。やけんどもう止まらん。どいたって、溢れ出てくる。これはもう止まるまで泣くしかない。よかった、ここが東京で。
見かねた彼が私に近づく。背の大きな人だから、抱き寄せられると私は彼の胸の中にすっぽりと収まってしまう。広くて、温かくて、いい匂い。
こんな記憶、一つ残さず消し去りたい。
「……好きだよ、香織…」
そう言うと同時に、彼の唇が私の唇を塞ぐ。
まるで、私の中に残すみたい。
こんなキス、二度としたくない。
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