悲しいことに、今のわたしは夫を支えられない。昨晩、うつの夫に限界を伝え、代替案を提案。小一時間話し合い、夫は理解してくれた。けど朝にはどうしようもない感情が込み上げた。分析も疲れる。とりあえず、話し合いをした自分「よくやった」。そう思いたい。
inコメダ珈琲。夫うつで欠勤2日目。家がどんよりして影響を受けそうだったので、今朝5時起床。家事を済ませ、置き手紙を残し、7時に外出。少し滞在し帰宅予定。その後、子どもとお出かけ。土日は場面を切り替え、気持ちを整える。すべては妻・母のメンタルのために。
「コンパッションは、他者の苦しみを心から気づかい、その苦しみの緩和を願うこととして定義されます」 「特筆すべきは、コンパッションがエッジ・ステートの有害な側面、すなわち病的な利他性、共感疲労、道徳的苦しみ、軽蔑、燃え尽きから抜け出す道となることです」(『Compassion』)
適応障害で休職していたとき、バリバリ働いている人を見ると劣等感を覚えた。己が役立たずで情けない人間と思えて悲しかった。だけど、それは違う。あのときの自分には、余白が必要だった。あのとき立ち止まる時間があったからこそ、再び立ち上がることができる。いまの自分なら、そう言える。