あや
よく読まれた、休職中に書いた日記をまとめてます
母として、感じたこと・気づいたことなどをつづっています。
統合失調症をかかえた母との暮らし、母が亡くなった時のことをまとめてます。
生きているといろんな苦難がありますね。そんな時に、いつも「どうしよっか」といっしょに話し合える人がいるというのは、すごく感謝だな思います。
適応障害で休職中な私、自己紹介します noteをはじめて4か月 「あれ?そーいえば自己紹介してないぞ」と気づいた次第です 一方で 「いやぁ、誰も私のこと興味ないのでは」とも思ったり… さんざん悩んだあげく 「ちょっと待て。 休職日記を書くようになってから 同じようにしんどい思いをされてる方が 読みにきてくださってるぞ」と思い もっとパーソナルな部分、 生い立ちなどをオープンにした方が 適応障害になった背景や生きづらさを 理解しやすくなるかもなぁ、と思い 書いてみること
休職3か月目 こんな記事を書く日がこようとは……笑 今日は、復職するつもりだった私が どうして退職を決めるに至ったのか。 そのプロセスを振り返りたいと思います。 適応障害が回復し、10月にはドクターから復職許可が出たものの、復職に向けて職場とやりとりを始めた途端、パニック発作が起こりました。 今振り返ると、私はこれまで「復職しないと」と自分にプレッシャーをかけていたんだなぁと思います。 職場の待遇も良く、子どもの大学費用のために貯金もしてましたから…。 でも、身体は正
今、深夜2時 目がキランキランしてる こんな夜中に起きるのはひさびさだ 「それなら深夜noteもいいかも?」 と思い、画面をひらく。 すると、ふっと 「精神疾患って人生で2度目だよなー」 と気づいた 独身時代のうつ病 そして今の親としての適応障害 それぞれの辛さがある そんなことを書いてみたい。 独身時代のうつ病の辛さ25才のときにうつ病を発症 母の死がきっかけだ 突然死なれ、 世界がまったく別物になった どこを探しても母はいない 症状は… とにかく希死念
心療内科の受診を考えている方へ 「何をどう伝えたらいいんだろう?」 そう思って心配にかんじていませんか? 私も同じように悩んでいたひとりです。 ただでさえしんどい状態なのに 「ちゃんと分かってもらわなければ」という思いで、さらに心に負担をかけてたなぁと思います。 そんな方へ向けて 私が初診時、実際につかったメモを元に 少しでも伝えやすくなるように テンプレートをつくりました。 「このテンプレートに従えば、今の状況やしんどさを伝えられるかも」 そう感じていただけたらう
適応障害で12月末まで休職予定 今後について、いま考えていることを 箇条書きでつづっていきたい 現職を12月末に退職する まだ職場には伝えてないけど、辞めようと思ってる 現職は、行政機関の心理士 退職後の1月~3月は無職になる 休職中の転職活動は、体調が回復していないのでやめた 就活は、心理士の求人の多い2月~3月にする 友人からの助言 先日、大学院時代からの友人(Mちゃん)に会った 私がMちゃんに 「心理士で精神疾患になる、ってかなり痛いことやと思うねん」
母を亡くして16年―― いまだに、ベランダで空を見上げては 天国に向けたスマホで 母に話しかけている自分がいる 私、もう41才なんだけどー 「なに子どもじみたことしてるん?」と思わなくもないが 母とのつながりは やはり心の中で生きている ということで、今日はこちらのシリーズ 「母がどんな覚悟で私をこの世に迎え、 どれほどの愛を注いでくれたか」について 書いていきたい。 母の人生ざぁっと概観 ・19歳:父と結婚 ・23歳:私を出産 ・33歳:父の不倫が原因で離婚
ねむい。 頭いたい。 今日、子どもの学校行事があるのだけど 母は絶賛ダラダラモードなので 子どもたちに 「ごめんね、おかあさん、体調わるくて」 と謝り 夫に行事への参加をすべて丸投げした。 私は当然のごとく、自己嫌悪モードになり そんな自分の状態にも嫌気がさしたので 「これを機会に、過去の栄光(休職2ヶ月でだいたい体調が回復した過程)を振り返るか」 と思いたった。 それで過去のnoteを読み返したところ まービックリ! 眩しくて眩しくて 笑 この人、スゲーとな
絶賛、休職延長てつづきに奔走中。 本日、職場からの要請で 3ヶ月以上の休職の場合、国立病院の心療内科を受診して診断書をもらってくる必要があるということで 今、でっかい病院にきておりまする。 そういう状況に、ふぅーとなったので 病院の待合室からnoteの更新 笑 ***** 今日は、自分に合う働きかたについて 確信をもつ出来事があったので それをシェアしたい 休職1ヶ月目の気づきこの頃の記事で↓ 私の対人関係の特徴として 上司から奴隷扱いされやすい そのうえ自分
はじめに 母が統合失調症であること。 それは、私の人生にとって 苦しみと同時に 深い愛を教えてくれるものでした。 この愛は、私が母になっても 我が子に継承され、 生きつづけているものです。 愛なんて抽象的で目に見えない。 そう思ってましたが、ほんとにあるんです。 この連載では、病とともに生きる母との暮らしを描きながら 彼女の人となりに焦点をあてることで、 「病気であろうが、親の中には自分を愛してくれる人格がある」ということを分かち合えたらと思います。 このような方
適応障害で休職中 今日は、就労意欲とはちょっと違う 「根っから、心理士というはたらきが好きなんだなぁ」と思った出来事があったので、それをシェアしたい きっかけ : 娘のともだちが家に来る日曜の正午。 娘(小2)が「ただいまー」と 外から帰ってきた 「急いでごはんを食べたい」というので 私が「なんで慌ててるん?」とたずねると、 玄関の前で「友達が待っているのだ」と どうやら友達(Rちゃん)は 朝も昼も、ご飯を食べておらず 娘が昼食を食べ終わるのを 我が家の玄関前で待って
noteをはじめて4か月 「書きたいのに書けない」 いやぁー、こんなことってあるんですね たぶん、一般的に書けなくなる要因としては ・モチベーションの低下 ・時間がとれない ・読み手を意識しすぎて書けなくなる とかがあるのかなー? 上記でいうと、私の場合 3つめのチョボが当てはまるのかもしれない ということで、今日は 「note、書きたいのに書けなくなった」 「そこからどうやって再度書こうと思えたのか」 そのプロセスを書いていきたいと思う 書けなくなった理由 その1き
適応障害で休職中 職場への電話って、 ほんとエネルギーをつかう 先日「復職NG」となったことを 職場(相手は統括)に伝えたのだが この時の電話のやりとりが すごく印象にのこっている 今日は備忘録として そのやりとりを書き留めておきたい 休職直前に、統括から言われた言葉私が適応障害を発症したきっかけは 自分が担当していたクライアントとの関係だった 相談関係が破綻していたので 私はなんども統括に 「担当を替えてほしい」とお願いしたのだが 統括よりもさらに上の人たちの
自己紹介文で母のことを書いてから 亡くなった母のことを考えて止まない これが休職中でなければ 目の前の仕事に没頭して 紛らわせられるのに… 一方で思ったのは、 あえて このタイミングで私が休職になり 母のことを思い出す時間が あたえられたのも 何か意味があるのかもしれないということ。 であるなら、 統合失調症をかかえた母との死別体験 この機会に、シリーズで書くことで 何か生まれるものも あるのでは?と思った ということで、今日は シリーズをはじめるにあたり
今日は、復職にむけて職場と具体的にうごきはじめたら「体調が悪化したよー、それで休職延長になったよー」というお話です 「適応障害ってこういうことか!」と痛感した出来事であり、復職?or転職?と悩んできた問題にようやく終止符が打てそうと思った体験でもありました 今日は、そんな私のすったもんだの流れをシェアします きっかけ10/15に、職場へ復職意向の連絡をしました 伝えた相手は統括だったのですが、復職診断書に書いてあったドクターの指示である「問題となった上司との1対1の話
先日、心ずたぼろな状態で記事を書いた 読んでくださった方、ほんとにありがとうございます 泣 あれから無事、診察を受けることができ ドクターから 「復職NG」「休職延長12月末まで」の宣告を受けた その瞬間、「ガ―――ン」となり 落ち込んだものの 一日たち、諦めがついたのか 付き物が取れたかのように 静かにものを考えられるようになった ということで、次回以降の記事では ・復職NGとなった際のDr.との会話 ・その結果を受けての職場とのやりとり ・今後について な
もう、ただただ…悲しい。 吐き出しの日記になります。 復職が決まったのが10/11で そのことを職場の統括に連絡したのが10/15 それから体調があやしくなっていました 食欲低下、吐き気と でも、私のやばいバロメーターである睡眠には支障が出てなかったので 大丈夫だろうと思っていました ですが、ついさきほど。 夫とカフェにいってたのですが 例の統括からメールがあり 文面がきつく 私はその場でへなへな、となりました 夫にメール文を見せると 「まぁちょっときついよね」