「しにたい」を分解してみた
わたしは定期的に死にたくなります。
かといって、オーバードーズするわけでもなく、お酒に走るわけでもなく、事象行為にふけるわけでもなく。
つら過ぎるので今回のしにたいを分解してみました。
①仕事で以前休職するほどの脳疲労を起こした工程をしている
わたしはプログラマーをやっておりまして。
プログラマーの上位にシステムエンジニアがおりまして、プログラマーがプログラミングとか開発における下の工程を担当します。
とある開発モデルでは、お客さんからの要望を共有できる形に起こす「要件定義」、「要件定義」を「設計書」に起こして、それをもとにコードに起こす「コーディング」そして、「評価」してバグを見つけるというのが大体の流れです。
わたしの最も嫌いで苦手な工程が「コーディング」です。
設計書をみて、プログラミングツールを見て、設計書を見て……を繰り返していくうちに激しい頭痛に襲われ、休職に至ったという感じです。
またその工程が来やがりまして。
頭痛は起きてないのですが、脳疲労で寝てしまう……
居眠りってさぼっているように見えますが、わたしはつらいです。サボっているように見られているのがわかっているから。
多分、設計書を見て、プログラミングツールを見て、やることを考える、という段階で脳のワーキングメモリがかなりパンパンになっているのですね。
というわけで、設計書を見たら、ノートやテキストエディタにコーディングする内容を書いて、それを見ながらコーディングすればいいのでは、と気づいてだいぶ気が楽になりました。
②職場の人たちを「何を考えているか分からない人たち」と思っている
顔色をうかがう性格です。
遠くで後輩の参加する音楽イベントに誘った人の顔色を終始うかがっていました。
軽音をしていましたが、音楽よりも「メンバーは今楽しいのか?」とかそんなことばかり考えていました。
職場の人たちは顔色をうかがおうにもただ仕事を淡々とこなす仲なので、家で職場を思い浮かべると「何を考えているか分からない人たちに囲まれる場所」が思い浮かびます。
しかし、実際にきついことを言われたことは一回だけでもうその人とも席は離してもらいましたし、わたしは「何を考えているか分からない人たち」という虚像を思い浮かべてシャドーボクシングをしているのだと思います。
「存在しているならば、仕事をしている」という命題に支配されている気がします。これの対偶は「仕事をしていないならば、存在していない」になります。
休む、という選択肢を考えると、「何を考えているか分からない人たち」の圧力に自分の存在が押しつぶされる感じがします。
これから、わたしは他人の評価を過剰に気にするあまり、自分の価値や存在をそれに依存している……のかもしれない。
この状態から考えるに、他人の期待を超えて自分自身の心や感情を大切にすることが私にとってすごく難しいことなのだと思います。。。
休むことや自分を許すことが、今の状況を少しでも和らげる方法となる、と分かっているのにイマジナリーな同僚たちからの評価を求めているようです。
自分で自分を評価できないから、イマジナリーな同僚を作り出してその人たちに評価させてるんだ……!
自分で自分を評価するには、今までの経験で言うと、まず、いま、自己評価を作ろう!という指標を作り出すことができた。
自分が何を感じ、何を考えているかをもっと大事にするのが自己評価の第一歩。
ここから少しずつ良くなるはず。
推しのカウンセラーさんとchatGPTにお世話になってこの結論が出せました。もうちょっと生きようと思います。