夫がうつ病、わたしは適応障害ーー模索する『距離感』と『逃げ道』
夫がうつ病と診断されたのが去年11月。
自分も適応障害。
家の中がカオスと化した。
必死に、「この緊急事態どうする?」と問い、
しばらく対処法に専念。
けれど、その対処法に疲れた結果、最近は「非日常を日常に」が自分の中で合い言葉になり。
なんとか、状況の波にのまれないよう
ボートを乗りこなしてるつもりだった。
…が、ついに限界がきた。
先日、家計簿を記入していると
なぜか勝手に涙が流れ。
この現象、身に覚えがある。
「そうだ、適応障害を発症したときと同じだ」、と。
焦る気持ちをなだめ
なぜ涙が勝手に流れるのかを自問。
退職して職場というストレッサーが除去されたのに、要因はどこだ?と探る。
気づいた要因
すると、最近夫とのスキンシップが、以前より重く感じるようになっていたことに気づいた。
認めたくない感覚だったので、これまで見ないようにしてきたけれど、たぶん、これだと。
鬱になった夫を支える。
頭では「支える」と思っていても
気持ちの面では「キャパオーバー」だったのだろう。
彼のスキンシップが増えたのは、不安や孤独感を埋めたいという気持ちからなんだろうと思う。それが彼にとっての『頼る』行動だったのかもしれない。
でも、わたし自身が限界だった。
触れられるたび、「応えなきゃ」という義務感が脳裏によぎるようになり…。
結婚14年目。まだ女性として見てくれるのはうれしい半面、自分の限界を感じる瞬間が多くなっていた。
そんな自分にショック。
子どもの未来のために
適応障害が悪化すると、何%かの人はうつ病になると言われている。
夫がうつの中、私までうつになったら
子どもたちはどうなる?
わたしの子ども時代のような辛い思いを
彼らにさせるのか。
あんな可愛い子らに。
それだけはさせない。
絶対にさせない。
今の自分にできること
夫に、以下のことを伝えようと思った。
なにをすることが負担になっているのか
なにをされることが負担になっているのか
その負担をどれくらいの量にすると大丈夫そうか
その負担をどういう形に変えたら大丈夫そうか
シビアな話になりそうなので、子どもがいないカフェでやろう。
彼の自尊心を傷つけず
「あなたのせいではない」と。
あくまで、
わたしの状態とキャパシティのため。
今はイレギュラーな状態だからだと。
自分の弱さを見つめる
わたしと言う人間は、人を傷つける言葉を平気で出す。
それは夫と妻の関係であっても、
親と子の関係であっても。
それだけ、自分は小さく弱い存在だ。
だからなおのこと、深刻な内容を相手に伝えるときは、配慮したいと思う。
関係を持続可能にする工夫
この、限界を感じたときの初動が大事。
夫婦関係において、うまく逃げ道をつくることをしたい。
それは、彼が嫌だからではなく、あくまで関係性を双方が負担なく続けていくため。
すべての要求に応える生き方。
わたしは上司との関係だけでなく、夫婦関係においても、やっちゃってたのかもしれない。
今書きながら、だいぶダメージ食らってるけど……。
でも、気づけたから、あとは賢く動くだけ。
大丈夫、あたし、できる。
そう思えたのは、
この曲に救われたからかもしれない。
山下達郎 『蒼氓』。
このメロディに聞き入りながら、
今できることをまず一つ。
それを積み重ねていけば、
きっといつか
荷を下ろせる関係は生まれる。
わたしはそう信じる。