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エッセイ

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日々考えたこと・感じたことをつらつらと書いていきます。
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#転職

入社半年で休職した職場で、復職1年後にここで働きたいと思えるようになった話

入社半年で休職した職場で、復職1年後にここで働きたいと思えるようになった話

新卒4年目、"やりたいことを仕事にしなければ"という強迫観念のようなものが理由で選んだ転職先での日々は、毎日がひたすら辛かった。
選んだ仕事は、プロフェッショナルファームの人材育成。
それまでやっていた証券会社のバックオフィスとは内容自体も大きく変わり、直面した変化の大きさに、ただただ戸惑うばかりだった。

小さなことで注意を受けると、"これまでの3年間はなんだったんだろう""自分は当たり前のこと

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会議で上手く話せるようになったわけじゃない。それでも今は、あの頃よりずっと生きやすい。

会議で上手く話せるようになったわけじゃない。それでも今は、あの頃よりずっと生きやすい。

「会議でうまく話すことができない」
3年前の私は、そう話しては泣きじゃくっていた。
社会人4年目、これまでろくに会議に出席した経験もなく、もともと人前で話すことが苦手。
転職を機に少人数の会議が多数設けられる職場に変わり、半年も経っていない頃のことだった。

経験値も人前で話すことへの耐性も、そのどちらもが足りていなかった同じ年齢でも、その時点で既に会議に多数出席してきた人は、そうしてこなかった人

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仕事に何を求めるか。わからず転職して泣いた春のこと

仕事に何を求めるか。わからず転職して泣いた春のこと

25歳の時、初めて転職を経験した。
転職直前、職場の先輩に職場のどんなところが不満なのか教えてと言われて、何も言葉が出なかった。
しまいにはなぜ自分は転職しなければいけないのかわからなくなって、仕事を辞めることが嫌で、泣いた。

新卒3年目。仕事の居場所と周囲の眩しさと新卒で入った会社は金融大手で、そこは私が100社以上落ち続けた就活を経て、唯一内定をもらえた先だった。
やりたいことがわからないま

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花束みたいな時間を閉じ込めて

花束みたいな時間を閉じ込めて

公開2日目の土曜日、映画「花束みたいな恋をした」を見た。
世の中がこんなことになる前、公開日が延期になる前から、ずっと楽しみにして公開日を手帳に書き込んだ作品。
同い年で大好きな有村架純と菅田将暉のW主演、繊細さや言葉の選び方が大好きだった"いつ恋"を描いた脚本家。
公式Instagramをフォローして予告映像を何度も見直して、期待値100%で向かった久しぶりの映画館。

ものすごく、良かった。

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"はたらく"が理解できるようになった、20代の6年間のこと

"はたらく"が理解できるようになった、20代の6年間のこと

「1年生のみんなー!」
新卒で入社した会社、私を含め4人の同期と同じ部署に配属が決まった。
仕事上での繋がりも多く使用する部屋も同じ隣の部と合わせて9人の同期。
新人の私たちはいっしょくたにされて呼び声をかけられる。
右も左も、大きく年の離れた人との接し方も社会人としての在り方も、わからないままスタートした社会人生活は、子ども扱いしてもらいながら始まった。

会社で1年生と呼ばれている話を大学院に

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5年生の終わりに

気が付いたら今日は3月の最終日。
明日はエイプリルフール、社会人生活6年目の幕開けだ。
7年目になったら7年生なんて言わないだろうし、もう6年目だって6年生とはあんまり言わないし、5年目だって、そもそも。

1年目の春。
「1年生のみんなー」と呼ばれていた。
あとは「こどもたち」とか、「新人ちゃん」とか。
22歳のあの頃、同期が同じ部署に4人も配属され、同じ部屋の中に9人も入れられたくらいだったか

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居場所の移ろい

居場所の移ろい

「ねぇー、元気だったぁ?」
馴染みのある少し低めのはっきりした声が投げかけられる。
「元気でしたよぉ、お子さん生まれたんですね、知らなかったです」
「お仕事楽しい?全然変わらないねぇ」
そんな会話が繰り返されるあの場で、あぁ私はここに居場所があったんだなと思えた。

前職の既に離れてしまった人をメインとした、これから離れる人の送別会が開催されたのは、お盆の半ばのことだった。
その場に集まった人たち

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気が付いたら復帰して5ヵ月が経った

昨年の7月から5ヵ月休職していた。
色々なものを否定し続けて涙が止まらない日々が続いたところからある程度落ち着くまで家で過ごした5ヵ月は、のんびりしながらも長くて暗くて、未来に対して絶望的になることばかりだった。
その間何をして過ごしていたかと聞かれても、ただひたすら泣いていたとかnoteを書いて理由もなく資格試験の勉強をしていたとか、それくらいしか思い当たらない。
その頃勉強していた試験には結局

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セルフイメージの持つ影響力

「私は世界で一番ダメな人間だ」
10代から割と最近まで、本気でこう思って生きてきた。
何か決定的なできごとがあったわけではない。
強いていうなら、何度か母から人としてゴミ以下だとか言われたことがあったくらいで、それもたった数回。
ただ自分でその言葉を何度も反芻して大きくして、たいして理由もないけれどとにかく私は世界で一番ダメな人間に違いないと、自分に何度も言い聞かせた。

女子高生だった頃、進学校

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エネルギーをどこまで割けるか

エネルギーをどこまで割けるか

「やりたいことをやろう」
街中にもオンラインにも、そんな文句がたくさん並ぶ。
初めての上司と親しくなってからの面談ではやりたいことがわからないと言い、そんな私にその頃の上司は合コンでも行って色んな人と話をして世界を広げてみたらどうかと諭した。
大学の専門に関連した仕事をやりたい仕事としてやっている友達は、そうでない選び方をしたこれから社会人になる自身の妹を善意からとても心配している。
「やりたいこ

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2018年は、苦しい1年でした。

2018年は、苦しい1年でした。

ひどいタイトルだとは思いつつ。
2018年は、今まで生きてきて一番苦しい1年だった。
この先を生きていける気が全くしなくなってしまったり、とにかく怖くてそれならいっそ全てを終わりにしてしまいたくて、それでも繋ぎとめるだけのものもぽつりぽつりと存在して、トータルして圧倒的マイナス。
大晦日を迎えた今日も、よし人生頑張ろう!と思える状態になれているわけではなくて、昨日も一昨日も大分泣いてしまったし、眠

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あなたと一緒に働きたい

あなたと一緒に働きたい

誰かに共に働きたいと言ってもらえることは、すごいことだ。
新卒で就職活動をしていたときも、現実逃避のように2回目の転職活動をしている今も、そのあたりが全く見えていなかった。
ただどう見せるか・その場を上手く乗り切るにはどうしたらいいか、ということばかり考え、なけなしの情報からせいぜい当日と前日くらいをかけて調べた言葉を繋ぎだし、結果を待つ。
「受かりたい」は「一緒に働きたい」よりかなり低次元の気持

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働くことと叶えること

働くことと叶えること

以前夢組と叶え組の話を読んで、私は叶え組だと感じた。
自分がどうしたいはあまり見えてこず、その先成し遂げたいことなども明確にならなかった。
でも最近、少しだけ見え方が変わってきた。

私は事務職として働いていて、専門的なスキルを持っていない。
事務は多分、向き不向きはあっても誰でもできる仕事といってしまえばそうな部分が大きい。
一方で、エンジニアやデザイナー、マーケットプランナーなどは名前のついた

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乗り越える

あといくつか落ちたら、復職することにした。
今本気で行きたいと思える先の選択肢が選べないなら、半年だけでもとにかく一旦復職することに決めた。
それなら復職することで苦しいことは何で、どうしたらそれを乗り越えられるだろうか。

・人間関係
信頼関係構築へのハードル→とにかく仕事をまわせるようになる
居場所感がない→別で居場所感の得られるものを持っておく

・コミュニケーション苦手問題が全面的に出てく

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