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エネルギーをどこまで割けるか

「やりたいことをやろう」
街中にもオンラインにも、そんな文句がたくさん並ぶ。
初めての上司と親しくなってからの面談ではやりたいことがわからないと言い、そんな私にその頃の上司は合コンでも行って色んな人と話をして世界を広げてみたらどうかと諭した。
大学の専門に関連した仕事をやりたい仕事としてやっている友達は、そうでない選び方をしたこれから社会人になる自身の妹を善意からとても心配している。
「やりたいこと」が仕事であることは、理想だし好循環を生む。

私はやりたいことと仕事を頑張って結びつけようとして転職したのだけど、その結果うまくはいかなかった。
今立て直しを図ってはいるものの、自分の中から出てくる弱弱しい本心はあまりここにいたいと積極的理由から思ってはいてくれない。
「仕事」と「やりたいこと」は、結び付けない方がいい人もいるのだろう。
考えていく中で、これはやりたいことへのエネルギー量の問題なのではないかと感じた。

例えば。
noteには素敵な文章を書く人がたくさんいる。
仕事としてライターをやっている人も多くいて、読んでいて楽しかったり考えさせられたり、世界を広げてくれるきっかけをつくってくれる。
その視点を羨ましく思い自分もそんな文章が書けるようになりたいとほんのり思う一方で、私にはそれを仕事としてやっていくだけの「やりたい」というエネルギーがない。
「書いたものでお金をもらう」という仕事は成果主義の世界だ。
書けなくて悩む時間や、頑張って考えてはいたけれど書けなかった時間に対してお金がもらえるわけではない。
(私が無知すぎるだけで、そういうものもあるかもしれないけれど)
生活するためのベースをそこに置いてしまうと、私は「仕事としてそれをやりたい」というエネルギーが弱いから、明らかに続けていけない。

例えば。
こうありたいと思う自分の理想と合致したものを掲げるNPOで働く人もいる。
世の中の課題を解決しようと、苦しい人を救うきっかけをつくろうと、素敵なサービスやプロダクトをつくっている。
何がしたいかと問われたらこういうことを口から言いそうになるけれど、それもやっぱり、「仕事としてそれをやりたい」というエネルギーがあまりに乏しい。
具体的な作業レベルに落とし込んでそれに伴う苦しいことを乗り越えられるだけのやりたいエネルギーが強いかと言ったら即答でNOだと言えてしまう。

私は「仕事としてそれをやりたい」というエネルギーが著しくないのだと思う。
趣味でやっている吹奏楽はあくまでお金を払って趣味の範囲でやっているからこそ楽しくてやりたいことなのであって、これを仕事としてお金をもらってやりたいかと言われたらやりたくない。
仕事は仕事の決められた明確な境界線の中ではっきりと頑張っていたいのだけど、それとプライベートを繋げてしまうことが怖い。

出典は覚えていないのだけど、心理の何かで報酬をもらうチームともらわないチームのパフォーマンスの違いのようなものを読んだことがある。
報酬が得られるとわかると、同じ状況に置かれてもパフォーマンスが下がってしまう、といったものだったと思う。
「仕事としてお金をもらって」やるということは、ただ趣味としてやることとは意味合いが違う。

エネルギーをいくらでもさけるようなことを仕事としている人はそれが天職なのだと思う。
ただそうできる人はきっと、そんなに多くはない。
やりたいことをやろうと言われる流れの中で、自分は何をどうやりたいのか。
仕事という文脈だけでなく、生活や人生という枠組みで考え直すと、明確になることもあるのかもしれない。

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みみ
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