#アダルトチルドレン
過干渉と共依存と境界線
幼少期から、親から過干渉と依存を受けてきた。
果たして、それのなにがいけなかったのか?
問題は、親が、子どもの人生と親の人生の境界線を曖昧にしてしまっていたこと。
親の顔色を伺って生きてきた。そのことを親は、何も問題に思っていなかっただろうと思う。
親は親の、自分は自分の人生を生きる。
子が、そのことをしっかりと決めなければ
親子の境界線は曖昧なままなのではないだろうか。
正確に言うと、
人間とイルカ、どちらが優れていますか?
わたしは、小さい頃、ずれた子供だった。
ふたつ上の姉とふたつ下の弟がいて、父と母がいて、5人で食卓を囲む。5人で話している話題があって、わたしは、既に家族の会話が違う話題になっているタイミングで、前の話題のことを話すということがよくあって、笑われていたことを覚えている。
そんなとき、『あきは、マイペースやなぁ』と言われていた。
幼稚園でも浮いた存在で、友達の輪の中に入れず、いつもひとりでお絵かき
怒りとがまんと『べき』思考
がまんしてがまんして怒りが爆発するパターンを繰り返してきたが、そもそもなぜがまんしていたのか?
自分で気づいてなかったけど、がまんすることが当たり前、『がまんしなければいけない』という思い込みがあったからだと思う。
そして、その思い込みがあると、がまんしてない人を見ると許せなかったりもする。
いわゆる、自分に厳しくて他人にも厳しいタイプである。
自分に優しくできないと他人と衝突するのは、自分に
思い込みとか、思考の癖を手放すのって、爽快だと思った。
朝起きると、喉が詰まる感じが取れていた。
やはり、話したいことを話せていないとなるかんじなのかもしれない。
わたしの話したことを彼がどう受け止めたのかは、わからない。
今まで、彼から連絡が来なくなると、落ち込んでいるのではないかと、とても心配になって気が気でなかったが、これからは、もし連絡が途絶えたら、ひとりで考えたいのか、ひとりで頑張ってるか、どちらかだと思おう。
仕事も、かなり楽にできた。
他人からどう思われるかについて
ずっと、ずっと、親、姉弟、他人、友人、先生、同級生、異性、同僚、先輩、後輩、上司、、、まわりの目を気にして、生きてきた。
どう思われているか、悪口を言われていないか、好かれているか。能力を評価されたい。ほめられたい。良く思われたい。
ほめられても、優等生でも、成績が良くても、絵が上手でも、賞をもらっても、自分が自分を嫌いだったし、人からどう思われているか、年がら年中、四六時中、24時間、365
穏やかでいられない出来事が向こうからやってくるから、穏やかでいられないんだ、と思っていた。
今まで、考えなければならないと思いこんでいたことなど、心の中のあれこれ不要な部分を徐々に手放しはじめたら、日を追うごとに、確実に、心に余裕ができてきた。
以前しんどかったときに、『何も考えないようにしてみよう』と考えてみたこともあるけど、それと、不要な考えを手放すことは、また違うように思う。
何も考えないというよりは、大切にしたいことだけに集中するということ。心のミニマリストになる的な。
わた