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穏やかでいられない出来事が向こうからやってくるから、穏やかでいられないんだ、と思っていた。
今まで、考えなければならないと思いこんでいたことなど、心の中のあれこれ不要な部分を徐々に手放しはじめたら、日を追うごとに、確実に、心に余裕ができてきた。
以前しんどかったときに、『何も考えないようにしてみよう』と考えてみたこともあるけど、それと、不要な考えを手放すことは、また違うように思う。
何も考えないというよりは、大切にしたいことだけに集中するということ。心のミニマリストになる的な。
わたしの場合は、最初は、仕事中に持っていた、いろいろな考えを手放した。
今は、大切にしているのは、『穏やかな気持ちでいること』と、『身体が痛くならないこと(健康体であること)』。
ちなみに以前は、穏やかな気持ちでいたいと思っていたけれど、穏やかでいられない出来事が向こうからやってくるから、できないんだ、と思っていた。突発的にやってくるであろう穏やかでいられない出来事から、なんとか自分を守ろうとして、いつもピリピリしていた。
それは、幼少期に、父親がいつ癇癪を起こすかわからなくて不安と緊張を持っていたことが原因だと思う。
子供にとって、家庭は社会そのものだったから。家庭に不安緊張恐怖を持っていた子供が、そのまま大人になって、社会に同じ心理を持つのは、ごく自然なことだと思う。
今も、なにかしら出来事が向こうからやってくることには変わりがないのだけれど、出来事がやってくることと、自分の心の状態は別のものだとわかっているから、出来事がやってくることそのものに恐れや不安がなくなったため、より、余計なことを考えずに済んでいる。穏やかでいられないのは、出来事をきっかけにして、自分でそれを選んでいるからだってこと。自分の心を守るために過度に身構えるから、不安や緊張がうまれるのであって、同じような出来事に出くわしたとき、反応する人としない人がいるのはそういうわけであると思う。
自分の心を守る反応というのは、防御、防衛なんだけど、なにかしら自分にとって不快なことあったときに、『不快キター!でも、自分は絶対にきっとたぶん悪くない!だから、あなたが悪い!』という考えになるため、相手からすると、非難、攻撃されたように感じることもある。不機嫌になってみせたり、意地悪な言い方してみたり。
自分の気持ちや気分が揺らいだときに、自分が悪くないと考えたいから、他に原因を見つけて納得したいってことだと思う。
悪いとか悪くないとかじゃなくて、気持ちや気分が揺らいだことは、あくまでも自分の心の中だけで起こっていることなんだって本当にわかっていれば、他人とか環境のあら探しをする必要がなくなる。その結果、心に、余裕ができる。
逆の立場のとき、心が健全ならば、非難、攻撃の雰囲気は不安が原因だとわかっているので、『あなたが悪いんだー!』の部分は完全にスルーして、全然、不安に感じなくて大丈夫ですよー的な価値観で接すると、なぜか、てのひら返して、なんかごめんねとか言ってくる。敵じゃなかったのに敵意向けてごめんね、みたいなかんじ。
そういう人は、敵!味方!、正義!悪!と考えているんだろうなと思うし、今までの自分も、きっとそうだったと思う。
『あなたが悪いんだ!』という反応をされたら、今までのわたしなら、『いーや!わたしは悪くない!間違っているのはあなたです!だから、わたしを責めるのはお門違い!』と思うか、『たしかにわたしが間違っていた!わたしのミスのせいで、不快な思いをさせてしまった。ああ、どうしよう。つらい。』の二択しなかなったように思う。
本当に、少し前までそんな感じで、自分が間違っていたか、相手が間違っているかで、めちゃめちゃ心が右往左往していた。
実際に、トラブルや、出来事、ミスや失敗を完全に無くすなんてことは不可能で、減らす努力をしていても、やはり、どうしても起こりうること。それは、自分にも他人にも、同じことが言えると思う。
だから、『間違ってしまうこと』『不快なこと』自体を、日常にありうることとして、許してしまえば、めちゃめちゃ楽になるんだと思った。
そりゃ、間違えたくないし、間違えたら落ち込むし、でも、間違えを恐れたらなにもできない。本当にそう思う。
さらに、間違えるから、成長できるとも思う。
心って本当に不思議。でも、ちゃんと向き合えば、ちゃんとこたえてくれるって思う。
今は、穏やかでいられない出来事が向こうからやってきても、よしよしできるマインドになっている。
なんで、ここまで変われたのか、実は、未だによくわかっていないので、また、文章を書こうと思う。