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怒ること

過去のことを思い出すことは、エネルギーがいる。
けど、ここまできたら、振り返ってみる。

わたしは、よく泣く子どもだった。
親から、怒ることを禁止されていた。
親は、よく怒る人だった。

言ってることとやってることが違う。

ずっと怒っていたんだと思う。

親から、親を(無条件に)敬えと教えられてきた。
父親は日韓ハーフだったが、日本人の実母と韓国人の実父は離縁しており、後妻が韓国人だったため、父は在日韓国人として日本で育ったが、韓国では親を尊敬することは当然のことであるらしいので、その流れからだと思う。

しかし、父親は、子供たちの前で母を蔑むような馬鹿にするような発言をしょっちゅうしていたし、わたしは、母からよく、父の愚痴を聞かされていた。三人姉弟のうちわたしによく話していたのは、わたしに友達が少なく、家によく居たからだと思う。

小さいわたしは、お父さんとお母さんは、仲良くしてほしかった。

実際、不仲というわけではなかったのだと思う。
わたしは、お父さんのこともお母さんのことも好きだった。

父のこと。

お父さんには、お母さんにもっと思いやりを持って接して欲しかったし、小さいことで怒ったり怒鳴らないで欲しかったし、威張らないでほしかったし、わたしの一挙一動に口出ししないでほしかった。なにかにつけて、うちはいいほう、と、他の家と比較する発言にも違和感があった。
父は、わたしがどうしたいかなんて気持ちはお構い無しに、自分の理想通りの素敵な女性に育って欲しいと願っていて、実際に、常にポジティブに考え振る舞うように指導された。
そして、泣いたり怒ったりすることを禁止された。

わたしは、父が怒鳴ることが恐怖だったので、怒鳴らせないために父を怒らせないようにしないといけないと思っていたし、泣いたり怒ったりするのはいけないことなのに、お父さんはいつも怒っているから、『父が怒っている』ということを、内心いつも怒っていた。
自我が芽生えて以来、わたしは、ずーっと、ずーっと!この『怒り』というものと、戦うことになる。

母のこと。

薬剤師である母は、理系だからかなのか、とんちんかんなことを言うことがあって、父からよく馬鹿にされていた。それがモラハラにあてはまるかというとピンとこないが、とにかく、それが日常的な風景だった。
多くの子供がそうであるように、わたしは、お母さんのことが大好きだった。お父さんがお母さんのことを蔑む言葉をかけることが、わたしはとても嫌だった!
そして、母から愚痴を聞かされるたびに、また父に対しての怒りが増していくし、お母さんを守らないといけないと思うようになっていった。これもまた、かなり長い間、自分の気持ちよりも、親を喜ばせることを優先するという生き方が普通になっていた。
というか、いつもお父さんとお母さんのことを考えないといけなかったから、自分がどうしたいのかは、わからなかった。わからなかったし、泣いたり怒ったりすることはいけないことなので、泣きたかったり怒りたいときに、どうすればいいのかもわからなかった。

これが、わたしが受けてきた過干渉と依存である。

いわゆる虐待とか、機能不全家族なのか?というと、わからない。ただ、自分が大人になってからも父親が亡くなってからも、感情の取り扱いに困っていたことは確かだ。

ちなみに、思春期頃からは父を徹底的に避けるようになった。そして、父はめちゃめちゃ追いかけてきた。自分を尊敬して欲しがっていた。

ある日、わたしは、追ってきた父に激怒して泣きながら不満をぶちまけたことがある。よく覚えてないけれど、お母さんに対して馬鹿にする態度が嫌だということもそのときに話したと思う。父は、お母さんのことは尊敬してると言っていた。母によると、そのあと、父は自分の部屋でひとりで考えこんでいたらしい。

そのことがきっかけでなにか良くなったかというと今となってはわからないが、言わないよりは言えて良かっただろうと思う。

しかし、そのときは、わかっていないことがまだまだたくさんあった。
自分の内側にある怒りという、『あってはならない』感情を、どうすればいいのかはわからなかった。怒りをぶちまけても、怒りはなかったことにならないし、怒りを感じるたびにストレスを感じていた。

結局、がまんしてがまんして爆発するというパターンが多かったように思う。

ちなみに、誰かに話を聞いてもらっても、解決することはなかった。根底に、自分を責める気持ちがあったからだと思う。常に矛盾と怒りを抱えていて、そんな自分が許せなかった。

誰かに褒められても、なにかを成功させても、自分を認めることはできなかった。
うれしい、楽しい、しあわせなどは日々感じることができたが、それと自分を愛せていることはまた別の話だった。

今思えば、怒りたくて、外に出したくて、怒る理由を探していたのかもしれない。
怒鳴ることでコントロールしようとした父への不満と怒りで、いっぱいだったのだとおもう。今でも、大きな声で怒鳴る人や、自分の子供に威圧的な態度をしている親を見ると反射的に恐怖と不快感を感じる。

親は、自分たちの子育てに間違ったことはないと考えていると思う。実際にわたしが不器用なだけで、逞しく育ったと思っていると思う。

過去は取り返せないが、これからどう生きるかは選択できる。
本当は、ずっと自分を愛したかった。不器用な親たちから愛されていなかったとは思わないが、なによりも、自分で自分を愛せなかったのが、いちばんつらいことだった。


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