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怒りとがまんと『べき』思考

がまんしてがまんして怒りが爆発するパターンを繰り返してきたが、そもそもなぜがまんしていたのか?

自分で気づいてなかったけど、がまんすることが当たり前、『がまんしなければいけない』という思い込みがあったからだと思う。

そして、その思い込みがあると、がまんしてない人を見ると許せなかったりもする。
いわゆる、自分に厳しくて他人にも厳しいタイプである。
自分に優しくできないと他人と衝突するのは、自分に優しくできないと他人にも優しくできないからだろう。

誰かに怒ったり、イライラしたりするのは、実際は自分の中に許せない思い込みがあるのかもしれない。
『こうするべき』という思い込みがあるとないとでは、心の持ち方がかなり変わってくると思う。

今まで『べき』と思ってたことを『自分が選択できる』ことに気づければ、かなり心が楽になる。
そして、他人にも、『べき』と思わなければ、許せないことはなくなり、そのかわり、『~~してほしい』とか、『わたしは、こう思う』など、思っていることが言えるようになる。境界線が引けるようになるのかな。

『~~するべき』という思い込みを持っていると、他人と自分の価値観をごちゃまぜに混同しやすいように思う。

仕事に対する考え方であったり、自分に対する態度だったり、考え方や価値観、生き方や過ごし方、何を思ってどんな言葉を選ぶのか、人それぞれ千差万別である。もちろん、考え方が違う人もたくさんいるだろうし、中には価値観が近い人もいるだろう。

人と接していて、『自分と考え方(価値観)が違うな』と感じることは、たくさんあると思う。
それって、もしかしてすごく大切な気づきなんじゃないのかな。

自分と違う価値観や考え方に触れたときに、相手を否定して、自分の考えが『正しい』と言い張るのは、『べき思考』になってしまっている時だと思う。もしくは、『そうでなければわたしが間違ってるのかな』と考えてしまったりして。正しいか間違ってるか、という軸に沿って絶対的な結論を出そうとするのは、そこに『自分は、こう思う』という主語が存在しないからだと思う。実は『べき』があって、『自分は』がないから、『べき』に従い、まわりにも強要することによって安心しようとしているが、そもそも健全な価値観の人は『べき思考』は持っていないし、持っていたとしても、それぞれで『べき』の内容は違うので、衝突は避けられない。

自分軸の価値観を持っていた場合、違う価値観に触れることができれば、新しい価値観を取り入れることができるかもしれないし、相手に自分の価値観を伝えることができるかもしれないし、伝えることをしなくても、自分のなかで、やっぱり大切だなーって、確認することができる。

全て自分が決めることであって、変えることもできる。
モヤモヤすることやイライラすることがあっても、その感情が生まれたのはなんでだろーって考えて、行動を変えることができる。

ありのままの自分を受け入れるために、愛するために、そろそろ鎧を外していきたいと思っている。重いし。

ちなみに、価値観が違う人と会ったときに、必ずしもわかりあおうとする必要はないと思う。わかろうとする努力が必要ないというか。ただ、自分との違いを認めることは大切だと思う。それは、自分にとってどうでもいい人でも、大切な人でも、自分とは違うんだな、と捉えることができないと、苦しいと思う。そのうえで、距離を置くのか、話をするのか、なにもしないのかは、自分が決めることで。そのうえで、相手が何を思うかも、相手次第。

考え方も感情もそれぞれの持ち物で、感じかたもそれぞれ。
誰とでもわかりあおうとなんてしなくていい。ただ、誰にわかってもらえなくても、自分だけは、自分のことちゃんとわかってあげることが大切だと思ってる。











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