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手放すということ
彼と付き合いはじめて、最初は彼のことを心配して、自分はなにか力になれないかと考えていた。だけど、そのうちに、自分はどうなんだろう?と考えるようになった。そして、彼とお互いに必要とし合う共依存状態に、仕事もしているので、体力的にも精神的にもゆとりがなく、限界を感じるようになっていった。
そのため、わたし自身が自分とよりしっかりと向き合う必要を感じ、しばらくnoteで心を整理する作業をしてみた。
そして、これからも一緒にいられるように、共依存ではない、お互いに自立して、しあわせを持ち寄るような関係性を築いていきたいと彼に話をした。そこから、わたし自身の毎日が変わっていった。
仕事をしていても、今までずいぶん、ごちゃごちゃと余計なことを考えていたことに気づいた。
自分の心を守ろうとして、出来る限り、自分が嫌な気持ちにならないように気を張っていたし、肩に力が入っていたし、緊張していた。接客やコミュニケーションもそのときそのときで、失敗しないように、相手に気に入られようとしていたし、自分に嫌なことを言ったり、自分を傷つけそうな相手には恐怖と怒りを感じていた。
不思議なんだけど、自分を守ろうとすればするほど、心配や不安は増えていく。
そして、今はなぜだか、いろんなことを考えないようになった。
すると、身体が疲れていることに気がついた。
立ちっぱなしだし、身体を使う仕事なので、ある程度は仕方のないことなのだけれど、身体が疲れているのに目を向けることができないくらい、これまでの毎日は、心が忙しかった。
例えばわがままな客や不機嫌な客に当たったとき、心は疲弊した。不遜な態度が許せなくて、胸がざわざわした。
今は、多少のことには特に何も思わずに済んでいて、この差は大きい。
相手がどんな態度でも全く関係なく、自分が機嫌よくいられれば、心を揺さぶられることがない。
目の前の人の気分と自分の気分は、全く別物であるということ。
実際には、自分が心から気分良く過ごしていると、相手を笑顔にしたり安心させることは多いのだけれど、それはあくまでもしあわせな副産物であることは理解しておきたい。
仮になにかにイライラすることがあっても、偶発的に『誰かにイライラさせられた』のではなく、ただ『自分がイライラした』ことがわかっていれば、それは、自分で選べることなので、手放すことが容易になる。
自分の心と、他者との関係性というものをごちゃまぜにしてしまうと、心の中は忙しくて仕方がない。
前の記事で、自分が他人からどう思われるのか気にしていたことを書いたのだが、それを踏まえて、逆に自分が他人をどう見ているのか、考えてみた。
他人の言動に、いつもモヤモヤしたりざわざわしていたが、それは、自分が大切にしたいこととは違うと感じた。
わたしが大切にしたいこととは、より良い毎日を過ごすことであって、自分の思い通りにならない事にいちいち反応している暇はない。そんなことをしていたら、毎日疲れきってしまうし、実績に今までが疲れきっていたように思う。
疲れるのは身体だけで十分だし、ただでさえ、気をつかうことがあるのに、目の前の客の態度が不遜であるとか、同僚が自分勝手に動いているとか、そんなことはとっとと手放すに限る。
もちろん建設的に自分が動いて改善できることは改善すればいいのだけれど、それは、イライラ、モヤモヤ、ざわざわを最速で手放してからでも遅くないし、いろんな不要な気持ちを手放すことで、頭がクリアになり、いい判断ができるようになる。
今までは、なにかにつけて『自分の判断は間違っていないか』を常に心配していたし、失敗すれば落ち込んでいたし、相手の判断や言動にもいちいちジャッジしていたと思う。なにか判断するのに時間がかかっていたし、判断しなくていいことも判断する癖があったので、無駄に脳を使っていた。
でも、そんないろいろなことを考える必要はないとわかったし、人間誰しも間違えることもあるし、正解し続けることが重要なことではないと思う。重要なのは、正解を出し続けることではないと思う。間違えないことでもないと思う。
重要なのは、自分がいいと思う行動ができてるか、じゃないかと思う。自分がいいと思うことが何かを、考えることができているかどうかじゃないかと思う。
疲れきってできていなかったことが、自然とできるようになってきた。
心って、いろいろ余計なことを考えすぎると、本当に大切なことが見えなくなってしまう。
だから、自分の心にとって本当に必要なこと以外は、どんどん手放すと、重かった心が、軽くなっていく。
そして、いろいろな想いを手放すと、自然と生活や行動が変わっていくことに気がついた。
間違ってもいい。間違いは誰にだってある。今までも、たくさん間違えてきた。大事なのは、間違えないことではなくて、なにを大切にしたいのか、ちゃんとわかっていることだと今は思う。