私が好きな作家(プロアマ問わず)は、私が好きな言葉を使ってくれる人のような気がする。当たり前か😝私にとって都合のいい言葉ということではなくて、私が好きな言葉をチョイスして文法的に成立させてくれていると言ったら良いだろうか?たった一行であっても、単語であっても、書き手の思いが乗る。
ずっと 焼きたいと思っていたレシピ。 ずっと あたためていたレシピで、やっと焼いた。 その思いがあるなら 直ぐ行動すれば良いものを… 「思いをかたちに」…は、私のコンセプトなのに 何を ためらっていたのだろう? 今日 かたちになったら とても嬉しい。 初心に返る夏。
当たり障りのない会話に心を躍らせる。 どうしたの?大丈夫?元気だよ。 一言だけ交わす一瞬の言葉のやり取りだけど、 その短い言葉の中に 相手の存在を感じる。 会えなくなったら、一言を交わすこともできない。 いつも、一言の会話も大事にしよう。
noteを始めて、約1ヵ月になりました。 病気、外出先、外食の事などを投稿しています。 どう伝えれば良いのか? 相手の知りたい事は? どんな書き方をすれば? 文章を書くって難しさを改めて知りました。 日々、試行錯誤しています。 noteって面白いですね!
強い言葉による手枷足枷を甘んじて受け入れて来たね、自分。 小さく纏まろうと堪えて来たね、自分。 型に嵌ろうと頑張って来たね、自分。 でも、本来の自分が目を覚ました。 今日が過去になる前に、行動して良かった。 秋晴れが澄んだ未来まで連れて来たようだ。
『運がいい人』も『運が悪い人』もいない。『運がいいと思う人』と、『運が悪いと思う人』がいるだけだ
先日、相方(夫)とタイミング合って、 中之島美術館に「塩田千春 つながる私」を 体感しに行ってきました。 ほんとうに観るというより、体感する作品。 自分がどこにいるのか分からなくなる瞬間があった! どうやっても繋ぎ止めることのできないことがあるからこそ、つながりを思う。