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モノクロではなく、多彩な“世界”で生きるため


わたしは、2023年12月15日に、突如noteのアカウントを作った。

その月末から毎日投稿を始めたわけだけれども、まさか自分がこんなに書き続けられる人だとは思っていなかった。

自分のことを全く知らなかったし、どう大切にしていいかがわかっていなかった。

自分を大切にしたいと謳っていながら。



noteは、まるで真っ白な、わたしだけのキャンバスだった。

noteの作成ページに、思っていること、日常であったこと、失敗したこと、大切にしたいなと思ったことを書き連ねてみた。


最初は猫かぶりな文字を連ねながら、殻に閉じこもりがちな自分を変えたくて、交流の輪に入ってみたりもした。

自分の書いたもので、反応をもらえることが、とてもうれしかった。

そのうちに、どんな投稿をすると、喜んでくれるかなあ?と考えるようになった。

日常の中に隠れているネタを探しながら、毎日過ごしていた。

そんな事を考えながら、noteの画面に向き合っていると、あることに気付いた。



『日常って、こんなに彩りであふれているんだ…!!』



日常が、色の宝庫であることを知った。

ここでいうとは、単純な視覚的な判断ができる色だけではないことを注釈しておきたい。

わたしの心のフィルターを通して知り得る世界観のカラーのことである。



もちろん、日常の中のものたちには、色がついていることは重々承知しているし、生活をする時に、色で判断することもある。

ここで日常に彩りがあると言わしめた所以は、わたしの心のフィルターを通して見た世界が、モノクロだった時期があることだ。

その時期は、学生時代からあったように思うが、特に大学卒業後、社会人になってからが顕著だった。


ここで少しだけ、思い出話をさせてほしい。



社会人になってから、自分の生活が、仕事一色になってしまった。

何をするにも、仕事の都合が第一優先。

仕事に明け暮れて、プライベートの時間はほとんどなかった。
遠距離でなあなあに続いていた彼(今の夫)とも、年2回会えればいい方だった。

なぜそうなってしまったのかというと、わたしが、頑固で、かなりの不器用人間だったからだ。

マルチタスクが苦手なくせに、仕事内容は、多様そのものだった。
事務も、対話も、調整も、全部ひとりでこなさなくてはならなかった。



その仕事をこなしているだけの生活は、次第に心を蝕んでいき、ついにはモノクロの世界にたどり着いた。

何を見ても、どこか霞んでいて、耳も聞こえなくなっていった。

職場と自宅の往復で得たものは、彩りの喪失だった。



心がモノクロフィルターで覆われた時、そこにあったのは、彩りが喪失した世界。

そこでは、無感情と無音が当然だった。


その職場からやっとの思いで離れた後、多少は感情や音が戻りつつあったものの、心のフィルターはなかなか変えらなかった。

モノクロの世界では、彩りには気づくことができない。


なんのために生きているのか、わからないまま、時間は過ぎ去る。

自分の心が動かない。わたしは、なんとかしたいと思っていた。

でも…多彩な色や音を、自分の中に取り戻すために必要なことがわからなかった。

ただただ、過去のあの頃の自分に戻ってはならない。
そのことだけが、頭の片隅にあり、自分を苦しめていた。


3度目の転職活動を始めたあたりで、まるで導かれるように出逢ったのが、このnoteの街だった。

「書くこと」を通して、過去の自分をゆるし、認めることが、自分への癒しになることを知った。

noteはいろいろなわたしに出逢わせてくれて、他の方の街に訪問することで、新しい世界を知ることができた。


彩りを取り戻すために必要だったのは、自分を知ることだったと気付いた


「書くこと」が、自分を知ることにつながったことは間違いない。

noteでは、ただ書くだけではなく、それを発信するとがセットになっていたから、責任と覚悟を持ちながら投稿した。

こんな気持ちで書くに向き合っているものだから、それなりに疲弊することもある。


書くには、筆記用具が必要で、それらは自分の心身であるからだ。

自分の心身をフルに使い、文章を紡ぐ。
自分の中に流れている血液や水分も使っている。

書くって、とってもエネルギーがいること。


書いて発信するって、とっても勇気がいること。


なのに、なぜ、わたしは自分の心身のエネルギーを最大限に注ぎ込んで、必死に書いて公開ボタンを押すのか。


書くのが好きなことも知り、自分の書く世界から、つながりを持てることも知った。

noteの街での楽しみ方を知ったことも、とても大きく影響しているけれど、わたしの核となっていることは、このひとことに尽きると思う。

モノクロではなく、多彩な“世界”で生きるため。



過去の自分をゆるしながらも、モノクロな世界に転がっていかないために。

自分が、地に足をつけて生きていることを実感するために。

今日も、「書くこと」を続けている。




藤原華さんの企画
「なぜ、私は書くのか」
に参加させていただきます。

この企画のおかげさまで、
多くの方の「書く」に触れさせていただき、
とても学ばせていただきました。

わたし自身の振り返りも兼ねて
今できる精一杯の気持ちをこめて
書かせていただきました。

コンテストも佳境となり、
お忙しいことと思いますが、
どうぞよろしくお願いいたします。


#なぜ私は書くのか

最後までお読みくださり、本当にありがとうございます(^^)!もしよろしければ、サポートいただけると大変嬉しいです✨いただいたサポートは、今後のnote活動をもって、還元していきます。