子どもが健やかに元気に育ちますように、なんて祈願を持ってお参りに行ける人はそもそも子どもに愛情を持って育てられる人。 鬼子母神や地蔵菩薩の真髄は、お参りにも来ないような仏縁の薄い人でも縋れば愛がなにかということに近づけることかもしれない。 親の愛を感じられずに苦しんだ人にも。
「まるっきり親に愛されなかった子供なんていないのです」 「誰があなたのオムツを替えたと思っているのですか」 だいぶ前ですが、とあるカウンセラーさんの本に書いてあった。 その時は、そうだなぁ、と納得したけど…… やっぱり、愛情でなく、義務感、仕事としてやってただけじゃないの?
娘とあるカフェへ🍰 でてきたスパゲティとハンバーグたべて、これは食べ物なのかな〜?って言った娘に大笑い&嬉しい☺️ ママちゃんとご飯作ってくれてるって思ったって😭 ちゃんと愛をか受け取ってくれているのね〜。
先日人と話をしている中で僕は親から沢山の愛情をかけてもらっているんだなと思いました。 それに気づいたことが嬉しくもあり、心強くもある。 親が子どもを信じてくれていること。 今の僕があるのも親のおかげ。 感謝して生きたい。
「もう少し長くおったらいいのに」 「もう少し近くに住んでたらいいのに」 などの親のひと言は、小言でも嫌味でもなく深い愛情が込められたものなのだと、ようやくわかってきたアラフィフのこの頃である。