曖昧さに身を委ねる
感情を言葉にすることに、ここ半年間くらい向き合い続けてきた。心にぼんやりと浮かんだぐちゃぐちゃっとした感情を、目を凝らして、手にとって、ふさわしい名前を探していく。それは自分の存在を自分で認めることにつながる、すごく大切な作業だ。けれど、やらないときがあったっていい。ふと、そう思った。それは向き合う前のように、感情に対して見て見ぬふりをするという意味ではない。ただそこに現れた感情のようなものを、そこにあると感じる。もっと言えば、身体の感覚だけに集中するということ。あえてただ感