ナツキのパパ@令和の父親アップデート作戦中!

駆け落ち、AC自覚、独立起業、結婚、冤罪で拘留等、東京で各種人生イベントを経て和歌山に移住。 HSCやADHD特性を持った3人の不登校児のパパです。 時代劇のよな昭和の固定観念を脱却して令和の夫&父親になるべく、過去&現在の等身大を晒してアップデート作戦中!

ナツキのパパ@令和の父親アップデート作戦中!

駆け落ち、AC自覚、独立起業、結婚、冤罪で拘留等、東京で各種人生イベントを経て和歌山に移住。 HSCやADHD特性を持った3人の不登校児のパパです。 時代劇のよな昭和の固定観念を脱却して令和の夫&父親になるべく、過去&現在の等身大を晒してアップデート作戦中!

マガジン

  • 二十代の私の遺書。

    かつて20代で独身だった頃の私は、自分が思うことや考えること、その想いや感性や成長や発言を記録に残しておきたいと思い、いわゆるブログの形で毎日必ず「遺書」を書いていました。  その期間は、日本でmixiが流行りだした頃の2004年7月(当時26歳)から2009年7月(31歳)迄の5年間で、日数にして1825日!1日も休まず遺書を更新を続けました。  そんな5年間にも及ぶ『自分の遺書』の中身を、包み隠さず、ズームバックしてみる(それでいて誰も得しない)マガジンです。 ※なお、当時の原文ままなので、一人称の違いは元より、不適切な表現があった場合はご容赦いただけますと幸いです。

  • ナツキのパパの日常。

    父親のアップデートには特に繋がらないかも知れないけれど、ナツキのパパが日常生活で起きた事や感じた事から、言葉にしてアウトプットしておきたい事を纏めています。

  • 不登校の親として思うこと。

    HSCやADHDの特性を持った不登校の子ども達を持つ三児の父親として、不登校について、子どもとの接し方について、学校教育について、パートナーシップについて、学んだ事や大切にしたい事、他の人にも知って欲しい事などを書いています。

  • 尊すぎにも程があるHUCのファンなのです。

    後世の歴史家が「全てはここから始まった」と表すであろうHUCの事や、HUCに関係する内容について書いたファン個人の投稿記事まとめです。

  • 子育てや夫婦(パートナーシップ)に関する気付きと学びマガジン

    ワンオペ育児やママの孤独感をなくす為に必要なのはパパの意識改革!そして女性の社会進出も大事だけど、その為にも必要なのは男性の家庭進出! という訳で、時代劇みたいな昭和の固定観念から脱却し、令和の父親像にアップデートする為にボクが(自戒や反省も込めて)大切だと思う想いや考え方、気付きなどを発信するマガジンです。

最近の記事

  • 固定された記事

夫(父親)にもある「産後うつ」。女性だけじゃない育児ストレス!

こんばんわ、時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、令和の父親になるべくアップデート作戦中を実践中のナツキのパパです。 今回は、子育て中のパパが感じるストレス、つまり夫側、男性側の目線で、特定の男性が感じるストレスと、その原因について、素人ながら個人的に思っている事&危惧している事を書きたいと思います。 結論からいいますと、いわゆる女性によくあるところの「産後うつ」や「産後クライシス」のように、男性にだって育児ストレスや産後うつはあるよね⁉︎という話です。 ちなみに、こ

    • 遺書No.941 恋愛論再提出。

      ---------------------------------------- 2007.2.6 ---------------------------------------- あれは先月末でしたかね。 『みーくんの恋愛論を聞いて見たい』というコメント欄やマイミクの皆さんからのご要望お答えして、書いてみたんですけどもね。 『却下です。』 『意味が分からない』 『やり直し』 そんな声を多く頂きました。 どうやらお気に召さなかったようです。 あれのどこが恋愛論なのかと。

      • 無自覚的に感じ始めているのは次の世代に対する大人としての責任か?

        時代劇のような昭和の固定観念から脱却して、 令和の大人になれるようにアップデート中。 ナツキのパパです。 我が家の息子たちが不登校になって以来、もう6年ぐらい経とうとしてますが、痛感したことの1つは、差別は思っている以上に身近な存在だということです。 皆んなが当たり前に暮らしながら常識や普通だと思っていることこそが、実は差別に隣り合わせているということ。 今を生きるボクたちは、これに気付き、気を付けなければ、誰かを傷付けながら生きていることにもなりかねない、と思います

        • 人生の例え噺。

          昔々、2007年頃、まだmixiを利用していた頃に日記に書いた、どこからかの拾い話。 (※とある有名な噺をいじったものと思う) ある日の講義で、教授が学生に向かって語りかけた。 「この瓶に石を詰めてみよう。…さて、これでもう何も入らないかな?」 学生の一人が手を上げて答えた。 「もっと小さな石ならその隙間に入ります。」 教授は頷き、小石を取り出し瓶に詰めた。 「さて、小石でだいぶ隙間が埋まった。これで瓶の容量は一杯かな?」 さらに学生の一人が手を上げた。 「

        • 固定された記事

        夫(父親)にもある「産後うつ」。女性だけじゃない育児ストレス!

        マガジン

        • 二十代の私の遺書。
          264本
        • ナツキのパパの日常。
          172本
        • 不登校の親として思うこと。
          79本
        • 尊すぎにも程があるHUCのファンなのです。
          14本
        • 子育てや夫婦(パートナーシップ)に関する気付きと学びマガジン
          93本
        • 【黒歴史ポエム】詩謡いの残像
          126本

        記事

          継続は力なり、に思う。

          「継続は力なり」というのは、 概ね事実だと思うし、 成長や成果を得る過程の手段としては、 とても大事なことだと考えてもいる。 けれど、 「力が必要な継続」というのは、 基本的に継続できない(≒難易度が高い)、 というのもまた事実だと思う。 そこで、継続させる為には、 「慣れ」という特殊な能力を利用するのが得策。 出来るだけ無理がない事から始めて、 その「慣れ」を利用しながら少しずつ、 その内容を変化させていくこと。 つまり、何が言いたいかというと、 いつまでもダイ

          子どもが不登校になった時

          自分の子どもが学校に行けなくなって、ある日から突然「不登校」が自分ゴト化した。 出口が見えない暗闇に包まれた様で、不安や焦りに襲われた。 でも見えないだけで地面は繋がってるし、出口も絶対にあるから、焦らなくていいんだと思うよになった。 出口を探すことに必死になっていると、気付けば子どもを置き去りにしていたりした。 大事なことは、子どもが追い詰められて心が壊れてしまわないように、ギュッと手を繋いで大丈夫だよと声を掛けること。 安心させて楽しい想像や色んな話をしながら、

          知性を身に付ければ、留まる勇気と踏み出す度胸が得られる。

          時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、 令和の父、令和の夫、令和のビジネスパーソンとなるべく価値観をアップデート中! こんばんわ、ナツキのパパです。 自分の子ども、、 長男だけでなく次男もが不登校になったことがキッカケの1つだったかと思うけど、数年前のある日、ボクは「なぜ勉強することは大切なのか?」といった問いを子どもから投げかけられた時に困らないよう、きちんと自分の中にこれだという明確な答えを持って置く必要があるよね」との考えに至って、「学校は何のためにあるのか」や「

          知性を身に付ければ、留まる勇気と踏み出す度胸が得られる。

          思いやりが摩擦になる。

          人間関係は難しいよね。 この世の悩みや煩わしさの殆どは、 きっと人と人との関わりの中で生じるモノ。 ぼくの悩みも、彼の悩みも、 そしておそらく、アナタの悩みも。 違うかなと思ったものも、 原因を深掘りするとそうなるコトが多い。 そして、相手を思い遣っての配慮なり、 善意によるスタンスだったつもりなのに、 それが不快にさせたり逆効果になることもある。 もっと言えば、 何もしないという優しさや気遣いの形もある。 そして学んだよね。 寄り添いたい想いに基づくアクション

          家族という書物は愛という物語で描かれている。

          時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、 令和の父親、令和の夫、令和のビジネスパーソンとして価値観をアップデート中! こんばんは、ナツキのパパです。 突然ですが、いつだったかどこかのシーンで次のような言葉を目にしたことがあります。 「自然という書物は数学という言葉で書かれている。」 うん、素敵な言葉ですね。 誰の言葉だったか思い出せなかったのですが、 調べたらこれは、かの有名な偉人さん、 ガリレオ・ガリレイの言葉だったようです。 突然なんの話しだ?てなもんですが、

          家族という書物は愛という物語で描かれている。

          粗削りで未熟な果実。

          これはただの懐古です。 10代の頃に散々感じてた、 あの狂おしい程に歪んだ倒錯的な自己愛。 外に出すか出さないかの違いだけじゃなく、 圧倒的な熱量と愛情不足とが許した、 環境要因なんて概念に唾吐き捨てるよな陶酔感。 厨二病だとか黒歴史だとか誤魔化そうとも、 確かにあった愛しくて憎らしくて苦しい記憶。 揺れ惑いながら揺るぎなく信じてた個性。 アレは目的ではなく手段だったし、 きっと表現ではなく排泄のよなもので、 諦め切れない情熱なんかじゃなく、 逃れられない呪縛のよう

          自分軸と他人基準。

          メモ。 他人軸ではなく自分軸で生きる。 それが大事なのはもはや論ずるべくもない。 でも。 自分軸で考えつつも、 社会生活を送るうえで他人への言葉選びだとか、 集団生活における周囲への気遣いだとか、 共有するルールの提案だとか、 そういったアウトプットや表現をどうするかという視点では、 自分基準ではく他人基準で図る方が、 わりと上手くいったりもするよね。 あ、ここでいう他人基準の他人というのは、 自分よりデキる人だと特にね。

          令和の母親を救う希望の社会モデル。それはHUCだ!

          時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、 令和の父親・令和の夫・令和のビジネスパーソンになるべく価値観をアップデート作戦中! ナツキのパパです。 さて、先日1/31(水)に経済メディア Newspics の番組、 WeeklyOchiai で放送された「母親をアップデートせよ2」を観た方はいますかね? 番組の説明文にもありますが、花まる学習会の高濱先生と一緒に出演されているのは、同じく5年前のNewsPicksの番組観覧をきっかけにできたコミュニティ「母親アップデートコ

          令和の母親を救う希望の社会モデル。それはHUCだ!

          受容するチカラ。

          もはや時代劇のような、 昭和の固定観念から脱却し、 令和の父親、令和の夫、令和の大人、 令和のビジネスパーソンらしくなる為に、 常識と見識と価値観をアップデート中! どうも、ナツキのパパです。 ボクが生きる上で「煩わしい」と感じること、 その9割は、45歳になった今も人間関係です。 分かんないけど、大体そんなもんじゃない? もちろん子どもの頃とは、 課題に対する視点とか分析力とか、 色々と成長してる点はあるし自負もあるけど、 煩わしさも対処力は上がるけど無くならない。

          HUCのよな職場で働きたい。

          HUCって知ってますか? いや、知ってますよね?素晴らしいコミュニティですよね。 個人的な話だけど、普段仕事をしていて、 業務上の課題があった時は特にですが、 上司や同僚と関わる時に、 人間関係の煩わしさって、 相変わらずあるんすよね。 これだけ成長して来てる筈なのに。 だけど、そんな時の他者の話や他者の意見、 考え方の受け止め方、受け入れ方、 相互承認や相互理解の姿勢について、 いつも思うのは、 「HUCのようになれたらな・・・」 ということ。 心から思うんですよね。

          価値観をアップデートせよ。

          時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、 令和の大人、令和の父親、令和の夫、 そして令和のビジネスパーソンになれるように、 日々アップデート作戦中! こんばんわ、ナツキのパパです。 ご無沙汰しております。 久しぶりの更新になりますが、 気付けば年も変わり2024年になっておりました。 親愛なる皆様方が1人でも多く皆様らしく、 自分らしく生きていらっしゃることをお慶び申し上げます。 また新年早々の天災や事故で今も大変ですが、 被災された皆様に心よりお見舞いを、 亡くなら

          個性の尊重は大事だけど個性という単語を特別視しすぎな気もする。

          時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、 令和の父親になるべくアップデート作成中! こんばんは、ナツキのパパです。 昨今、ダイバーシティ&インクルージョン、多様性云々という単語に耳馴染みができる程によく聞かれるようになったけど、実際に社会の身近なところ、例えば会社や地域といったコミュニティで十分に実践(実装)されているかといえば、まだまだだよな…というのが自分個人の場合の実感です。 でもまぁ、過去の心構えや体現はともかく、実践の試みというか言葉だけでも認識されてきてるの

          個性の尊重は大事だけど個性という単語を特別視しすぎな気もする。