鈴原優雨樹

僕は1962年生まれです。恋愛エッセイや子育てエッセイ等のエッセイと、忘れられない恋物…

鈴原優雨樹

僕は1962年生まれです。恋愛エッセイや子育てエッセイ等のエッセイと、忘れられない恋物語等の短編小説を書いています。

マガジン

  • 家族からの退職物語

    家族全員が家族という組織から退職する物語です。

  • その他のエッセイ

    いろんなテーマのエッセイです。

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  • 子育てエッセイ

    ふたりの娘を育てた父親目線での子育てエッセイです。

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    忘れられない恋物語をテーマにした短編小説です。

最近の記事

家族からの退職物語 5 軽井沢出発前夜 娘たちからのLINE

僕は夕食を食べ終わると軽井沢へ行く準備をしていた。遅くなるようなら何処かで1泊しようと思っていた。 奥さんはお土産に軽井沢の美味しいジャムを買って来てと言った。 だが、こんな会話もいずれは出来なくなるかもしれないとも思った。 奥さんは奥さんで真剣に考えていることが分かったからだ。 僕には娘がふたりいるが、娘というのはいいものだと思う。 高校生になった娘と出かければ女子高生とデートしているようなもの。 大学生になった娘と出かければ女子大生とデートしているようなもの。 長女は結

    • 家族からの退職物語 4 諏訪大社で思ったこと 人が争う根本原因は所有という感覚だと思う

      僕の住む家から車で30分位の所に全国の諏訪神社の総本山である諏訪大社がある。 諏訪大社には諏訪湖を挟んで諏訪市に諏訪大社上社 そして下諏訪町に諏訪大社下社がある。 諏訪大社上社に祀られている神様は健御名方命で 諏訪大社下社に祀られている神様は八坂刀売命という女性の神様だ。 健御名方命は出雲大社の大国主命の子どもの1人だ 天照大御神は出雲の国を気に入り、大国主命に対して出雲の国を天照大御神に献上するように伝える。 大国主命は自分の子どもたちに相談させて欲しいと言って一旦帰る。

      • 家族からの退職物語 3 変わりゆくお葬式の形態 生命保険金はお葬式代を支払う期日に間に合わないという現実

        高校の同級生と偶然駅で会い、近くの居酒屋で飲むことになった。 僕は奥さんに夕食は不要になったことをスマホで連絡し、その居酒屋に向かった。 彼は葬儀の会社の部長になっていた。 僕は長女が結婚したことを話した。 自分たちの挙げたい結婚式を挙げられる今の若い人たちが羨ましいと僕が言うと彼は、 「鈴原、今はお葬式も同じなんだよ。俺の勤めている会社には、200人以上収容出来る葬儀用の大ホールがある。だが、大ホールを使うほどの葬儀は1か月の間に2回位しかない。 今、大規模なお葬式をす

        • 家族からの退職物語 2 アメリカ人女性が映画犬神家の一族を見なかった理由 お金を持っている人が天国に行くのはラクダを針の穴に通すよりも難しい(アメリカの諺)

          僕はごく普通の日本人同様宗教というものを信じていない。  結婚式やお宮参り等のおめでたいことは神社に行き お葬式はお寺にお願いする。 だが、僕は海外営業をした経験から知っているが、 何の宗教も信じていない、というのは世界では日本人位のものだ。アフリカの人たちも森の精霊等を信じている。 ヨーロッパのホテルの部屋には必ずと言っていい位聖書が置いてある。 ハマスがイスラエルの人たちを人質に取った事件があったが、これはイスラエルが旧約聖書の最終章、 イスラエルの民は世紀末になったら

        家族からの退職物語 5 軽井沢出発前夜 娘たちからのLINE

        • 家族からの退職物語 4 諏訪大社で思ったこと 人が争う根本原因は所有という感覚だと思う

        • 家族からの退職物語 3 変わりゆくお葬式の形態 生命保険金はお葬式代を支払う期日に間に合わないという現実

        • 家族からの退職物語 2 アメリカ人女性が映画犬神家の一族を見なかった理由 お金を持っている人が天国に行くのはラクダを針の穴に通すよりも難しい(アメリカの諺)

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        • 家族からの退職物語
          6本
        • その他のエッセイ
          53本
        • 小説
          3本
        • 子育てエッセイ
          36本
        • 忘れられない恋物語
          20本
        • 恋愛エッセイ
          43本

        記事

          家族からの退職物語 1 長女の結婚披露パーティー後、別々の車線を走り始めた夫婦

          浜田省吾さんのヒット曲にラストショーという曲がある。 その曲のなかに きっと 別々の車線を走り始めていたんだね という歌詞がある。 僕たち夫婦は、長女の結婚披露パーティー後、別々の車線を走り始めていた。 僕たち夫婦は特急あずさに乗って長女の結婚披露パーティーが行われる新宿の老舗フランス料理店に向かった。 長女の結婚披露パーティーの出席者は両家の家族と 新郎新婦の親しい友人のみだった。 両家の親族一同を招いて昔ながらの大きな結婚披露宴をしなくてはならなかった僕たち夫婦は、自分

          家族からの退職物語 1 長女の結婚披露パーティー後、別々の車線を走り始めた夫婦

          家族からの退職物語 序章 家族それぞれの人生

          フォロワー様 ご無沙汰しております。 お元気だったでしょうか? 体調も戻りましたが、家族での話し合いを続け 僕だけでなく、家族全員が家族という組織から 退職することにしました。 私と奥さんは正式に離婚という形を取るのか話し合い中です。 家族、夫婦の仲が悪くなったわけではありません。 娘たちもそれぞれの家庭を持ち始め、また、私は 実の両親を亡くしていますが、妻には年老いた母親がいます。 娘たちがそれぞれの人生を歩み始め、 僕には人生最後の夢があります。 妻には年老いた母親が

          家族からの退職物語 序章 家族それぞれの人生

          義理チョコとメッセージカード

          今日、買い物に出かけたが、スーパーやお菓子屋さん等にバレンタインチョコが並んでいた。 来週はバレンタインデーだ。 僕もサラリーマン時代、アシスタントをしてくれていた女の人たちや営業部女子一同等の義理チョコを もらった。 珍しいところでは、たくあんを貰ったことがある。 これは輸出業務に携わるパートの中年の女性の方たちに、課長に頼まれて輸出用資料の英語を教えてあげた時のバレンタインデーだった。 その女性たちにバレンタインチョコを貰ったのだが そのなかの1人の女性が、 「鈴原さ

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          軽井沢の地へ 序章 ラブソングとフランスパンの似合う僕の1番好きな街

          体調を崩し2週間療養していた。 歳を取ると、ある日突然具合が悪くなることがある ということを初めて知った。 僕は長野県のある街に住んでいるが、時々、諏訪市に行く。 僕が生まれ育った街だ。 八ヶ岳を背景にした諏訪湖の景色を毎日見ながら 僕は育った。  ふたりの娘が独立して依頼、 今住んでいる家を処分して、この景色の見える場所へ引っ越そうと思っていた。 入院する必要はなかったが、最初全然食欲がわかなかった。 だが朝食のバゲットとチーズとミルクだけは食べられた。 自分は本当にパ

          軽井沢の地へ 序章 ラブソングとフランスパンの似合う僕の1番好きな街

          フォロワー様へのご連絡

          ご無沙汰しております。 急に体調を崩し療養中です。 大分良くなって来ました。 少しずつですが、noteを近日中に再開したいと 思っています。 これからも宜しくお願い致します。 鈴原優雨樹

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          アムステルダムのホテルのレストランで朝食に目玉焼きを作ってくれたおばさん

          僕は卵が大好きで1日1個は必ず食べる。 最近のお気に入りは、朝食にホットココアを飲みながら半熟の茹で卵を食べること。 少し塩をふり、スプーンで半熟の黄身をたっぷりとすくって口に入れ、その後ホットココアを飲むと凄く美味しい。 1990年、僕は仕事で1ヶ月間、オランダのアムステルダムに滞在することになった。 僕は1ヶ月間、同じホテルに滞在した。 ヨーロッパで目玉焼きと言えば両面焼きだ。片面焼きの場合は片面焼きにして欲しいと言わなければならない。 僕は翌朝、朝食を食べにホテルの

          アムステルダムのホテルのレストランで朝食に目玉焼きを作ってくれたおばさん

          エッセイ : 人生は LET IT BE (なされるがままになさい)

          僕は現在61歳、ビートルズ世代ではない。 僕はカーペンターズ世代だ。 僕は1962年生まれ、この年にビートルズはデビューした。 だから、何処かでビートルズの音楽が流れているなかで育ったが記憶にない。 中学生になって初めてビートルズを聴いてからファンになった。 ビートルズ世代というのは、僕よりも10歳くらい 歳上の人たちだ。 坂本龍一さんや桑田佳祐さんや山下達郎さんのようなミュージシャンの人たちや、村上龍さんのような作家の人たちだ。 ビートルズのLET IT BEを初めて聴

          エッセイ : 人生は LET IT BE (なされるがままになさい)

          短編小説 : 時計は時を刻む残酷な機械

          僕は東京出張の仕事を終え、4時少し過ぎに新宿駅に到着し、午後5時発の特急あずさに乗るため1番線ホームに行った。  売店で夕食用のサンドイッチと缶ビールを買いベンチに座り、特急あずさの到着を待った。 僕は腕時計を見て時間を確認した。 すると、白髪の品の良い老紳士が僕の隣りに座り、 話しかけて来た。 「きみは、自分が死ぬまでの時間がそんなに気になりますか?今、腕時計を見ましたね?時計は1秒また1秒とあなたが死ぬ時間に近づきましたよ、と教えてくれている機械なのですよ。 あそこにも

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          ウォーキングハイ 歩いている途中で倒れた ひとり旅の思い出 2

          差し障りがあったらいけないので、具体的な地名は言いませんが、とある東北地方の民話の里でのこと 大学2年生の夏休みを利用して、例によって大きなリュックを背負って歩いていた。  そして、ひとり旅3日目のことだった。 東北は涼しいと思いがちだが、フェーン現象等の影響から暑い所はとてつもなく暑い。 そこは、ひとつひとつの観光スポットが離れていたため、ひとつ見学すると次の目的地までかなり歩かなければならなかった。 僕は水筒の水を飲みながら歩き続けた。 さすがに疲れて、もう歩けない、と

          ウォーキングハイ 歩いている途中で倒れた ひとり旅の思い出 2

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          スキ制限というものに該当してしまったみたいです 少しの間、大人しくしています。 宜しくお願い致します。 鈴原優雨樹

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          とある民宿の男女共用風呂でのハプニング ひとり旅の思い出 1

          僕は大学時代、ひとり旅をしていた。 大きなリュックを背負って歩いて旅する貧乏旅だったが、いろんな思い出がある。 僕がひとり旅を始めたのは大学1年生だった1980年のこと。 僕は北海道をスタートして南に下って行った。 このひとり旅は、就職してからも続いた。 広島の旅をした後、萩津和野の旅に出かけようと思っていたが、奥さんと出逢い結婚することになったので、そこでストップしたままになっている。 何時かこの続きをしたいと思う。 1980年代は今思えば、大らかな時代だったと思う。 そ

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          黒豆のゼリー 僕の家の余ったお正月料理の再利用

          僕の家ではお正月料理が余った時、そのまま食べ続ける物もあるが再利用することもある。 今日、夕食のデザートに奥さんが出してくれたのは 黒豆のゼリー。 黒豆の煮汁で作ったゼリーだ。牛乳のゼリーと一緒に食べると美味しいので、グラスの半分は牛乳ゼリー、その上に黒豆ゼリーの2層にし、1番上に、 黒豆を3粒のせて完成だ。 これ美味しいです。 余った数の子は、ばら数の子にして醤油味のひたし豆と混ぜて食べます。 ただのひたし豆よりも、数の子の出汁が出て、また 食感も良くなって美味しいです。

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