無題 理とは 自然界の法則 神との等号 0への最接近 妥当性と最大公約数 全てはイエスであり ノーである
無題 動中に静在り 静中に動在り 天意は地に在り 星は地上に在り 現実のなかに理想を見出し 夢幻のなかに現実を視る 螺旋の混沌を巡り昇って 我らは理を知り 心を知り 秩序を形成していく
"なるようになる"が、慰めや、諦めとして使われてるよね、、 "砂糖をお水に入れたら砂糖水になる"なんだよ。本当は笑 なるようにしかならない😹笑
世界平和はふつーにガチだよ わたし、めちゃめちゃ、それ話せる笑 鈴木俊貴先生❣️❣️ ほんとにわたしを見つけて欲しい。。😹 "個人個人"が【頭の中】を見ているから分離や対立が起きちゃうの。 《頭の外》(事実)を観てれば、ふつーに当たり前に分離しないよ🌟笑
理には現実には存在しない言葉と概念に依存する知とがある。
Twitterで、"自立とは、依存先を増やすこと"というネタ(知識)が流れてくるけど、 そもそも、"個"は、"自分以外のあらゆるすべて"に支えられてるし、無意識無自覚に、存在自体で支え合ってる。 それを忘れて、"特定のひとつ"に執着することを、世間では「依存」って言ってるの。
エイブラハムのいう"下流"とは、 暑いときには涼しくして、 寒いときにはあったかくして、 眠たいときには寝るということです笑 "上流"っていうのは、文字通り《流れ》に逆らうことで、《感じてること》に逆らって、そこにしあわせがあるはずない😹 あるのは苦しみと自我満足だけ😹
これもわたしの好きなつぶやき🎶笑 偽善や綺麗事とかではなくて笑、 《事実》を観たら、こうだよね🍀って笑 逆に、《事実》も観ないで【思想】で"善かれ"をやってる側が【嘘】なんだ😹 そっちは、ただの【囚われ】製造機😹 https://twitter.com/sakuraba_otoha/status/1664058367067975680?s=46&t=EJxxmbCXZtJavF_ckuzGaQ
物を収めるべきところに収めるように、我々もこの世界の法則を知って、それを腑に修めることで心の整理を付けられる。例えば、この世界は自分の思いが生み出しているということを理解すると自分の心を整えようと思えるようになる。整理とはこの世界の理(ことわり)を知って自分自身を正すことである。
どんどん、変わっていく。どんどん曲も私も命も景色も全てが帰化していく。私であって神様であってっていう方向に統合していく。宇宙と統合していく感覚。抵抗しないことが今の課題。
中秋の名月から満月の空 慈悲心や愛が浮かびます 偏見に反感 たとえ避けられても 大我だからこそ 大我でなければの 忍耐を伴う優しさやしなやかな強さ 真だから傷も怖れない利他の縁起 そこにまた研磨あって 無償の愛 泡沫にある 軽薄な虚ろいを隠した いつわりは さよなら
「のぞむ」。「ウォント」ではなく「シー」。臨むとは観察すること。力を抜いて観察していると、自然と物事の理が見えてくる。理に従って生きれば、悠々と生きていくことができる。ウォントで「のぞむ」と肩に力が入り焦点が狭まってしまう。シーで静かに臨めば、今すべきことがすっと理解できる。
この世の中に、この世の理(ことわり)というものがもし存在しているとするならば わたしは、無理なく気楽に流れるがままに生きる ことを選択するであろう 何にも抗うことなく、この世の道理に従い、ただただ流れるままに生きる まさに無為自然