高地秀奉賛会

高地秀(たかちほ)厳瑞様より学んだ教えをひろく皆さまに知っていただきたい。 神々様の御…

高地秀奉賛会

高地秀(たかちほ)厳瑞様より学んだ教えをひろく皆さまに知っていただきたい。 神々様の御言葉、霊学、心、身魂磨き、改心の方法、鎮魂について

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●高地秀宮の概要(日月神示の継承)

※ こちらの内容は、ご紹介出来る一部のものとなりますのでご了承くださいませ。 私は大学時代から2008年12月までの22年間、東京の八王子に住んでおりました。 その際、2001年から長澤翁の直系の会で本田霊学を学ばせて頂きました。 2007年6月10日(日)私は突然、強い神懸かり状態となり、そのまま神前に向かい鎮魂印にて座すと、 手を組んだ鎮魂印のまま手を高く上げ、ゆっくり、ゆっくりと手を下降させて神棚にどなた様かの御神霊を鎮められて神懸かりは終わりました。 この時

    • 智慧・証覚・愛善・真信

      智慧とは人間が生まれながらにして神様より与えられた霊魂の先天的(内分)なものであります。 また、学力は後天的(外分)に頭脳で記憶された知識であって本当の智慧とは異なります。 学力が無くても智慧がある人、反対に学力があっても智慧の働きのない人がおります。 御魂に備わっているものであります。 証覚とは霊魂で様々な物事等の現れや、証しにより覚る事、また神を覚る事であり、閃きや直感の事であります。 愛善とは愛善とは、善なる愛の事で真神より直接心に流入する「神なる善」(神善)

      • ●天界(天国・霊国)について

        天界(天国と霊国)は百八十一の階級に分かれていますが、天国・霊国は大きく分けて上中下の三層にそれぞれ分けられます。 天国にいる方々を天人と言い、霊国にいる方々を天使(御神霊)と言います。 天国(日の国) ・第一天国 (最高天国 = 上)天人 ・第二天国 (中間天国 = 中)天人 ・第三天国 (下層天国 = 下)天人 霊国(月の国) ・第一霊国 (最高霊国 = 上)天使 ・第二霊国 (中間霊国 = 中)天使 ・第三霊国 (下層霊国 = 下)天使(見習い) ・四魂の働

        • ●中有界について

          中有界(ちゅううかい)は、神道では「天の八衢(あめのやちまた)」、仏教では「六道の辻(ろくどうのつじ)」、キリスト教では「精霊界」と言います。 天界と幽界(地獄)の中間的状態の世界であり、人の死後に最初に行く世界であります。 また、仏教の教えにある三途の川は、亡くなった直後に現れる中有界の入口の風景です。 中有界では、物質的世界から霊的世界に移行する為の準備する場所であり、ここで霊魂は大まかに三段階の状態に変化していきます。 ●「外分の状態」 死の直後は、人間の物質的

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        ●高地秀宮の概要(日月神示の継承)

          ●大宇宙の世界について

          この大宇宙には「霊界と現界」があり、霊界には「天界(てんかい)、中有界(ちゅううかい)、幽界(ゆうかい)」があります。 ●天界(てんかい)とは、神道では「高天原(たかあまはら) = 神界」、 仏教では「極楽浄土」、キリスト教では「天国」と言います。 天界は、天国(日の国)と霊国(月の国)に分かれていて百八十一の階級 があります。 ●中有界(ちゅううかい)は、神道では「天の八衢(あめのやちまた)」、 仏教では「六道の辻」、キリスト教では「精霊

          ●大宇宙の世界について

          ●自我は正しい四魂の働きを妨げるもの

          幸魂の真の「愛」の働きが弱い者は、内向きな側面である我が強く、自己願望や自己愛があるので、私的思入れが強い為に人、物事に執着しやすくなります。 また本能的な我の欲に囚われるので、人に真心を割け(分け)与える事無く自己中心的な思考になるのです。 つまり、この我に囚われている状態の「我とは」、自分の欲するままの動物的本能の思考や行動であり、自分を律する事が出来ない曲霊の状態であるのです。 多くの人は、自分は何を欲して、どのような時に喜び、また悲しむのか?など何を思い考えているのか

          ●自我は正しい四魂の働きを妨げるもの

          ●経験による学び

          人と言葉を交わす事で新たな思想が培われてきますが、その思想が身に付くまでは時間も年月も掛かってしまいます。 身の回りで起こる他者の善行や悪行を、自らが経験し自らの問題の如く受け止めて、よく思考して反省や修正し改めて行く事により自らが経験した事と同じになります。 そして、人の善行を見て「自分もこのような人になりたい」また悪行を見て「こうなりたくはない」と強く思う事が学びであるのです。 他者の経験が、自らが経験せずとも培われるのですからありがたいものなのです。 この経験と思考

          ●経験による学び

          ●怒りやすい人は

          怒りやすい人は、荒魂を制御する「恥じる」という意識が無い為に、苛立ちの感情が抑えられず怒りに転じて怒りの感情を表に出す事になります。 本能のまま怒りの感情を出す事は、動物と同じ行為なのでとても恥ずかしい行為であると強く認識して、自らの感情のまま流されるのでなく、自らの感情をコントロールする事が智慧のある人間としてとても大切な事なのです。 また、自身の怒りまでの心の動きには幾つかの段階があります。 第1 怒りが出た後、暫くして心が冷静になり自身の怒りの感情に気が付く。 第

          ●怒りやすい人は

          ●真の守護神とは「改心の理9」

          これまで、霊魂(一霊四魂)に備わる本質的な働きと、精霊の働きが明らかにされずに曖昧な解釈しかされてこなかった為に、自らの身魂を改め正しく修正する事がとても困難となっておりました。 また、現世(この世)に生まれる際に人間のみが天之御中主大神様から直霊(本霊)を授かって誕生すると伝えられて来ました。 そして霊魂には本守護神、正守護神、副守護神という精霊が備わっており、その中の副守護神は悪霊であるとも言われてきました。 しかし本当は、神様より全ての生物に対して霊魂「一霊四魂」

          ●真の守護神とは「改心の理9」

          ●現世でしか出来ないこと

          霊界では同じ思想の者の集まりの中で生活する事となり、思想の異なる外部との交流は出来ないのです。 また、天界では同じ思想の御霊同士なので争いも無く平穏で本人にとって最も過ごしやすい理想の世界でありますが、類似した思想の集まりなので新たな学びや進歩があまり出来ないのです。 一方、この現世は人種も宗教も思想も異なる人々と出会い交流を持つ事ができ、善悪美醜の入り交じる世界なので、人の善行や悪行を見て「人のふり見て我がふり直せ」と学ぶ事も、自らが様々な経験をして学ぶことも自由に出来る

          ●現世でしか出来ないこと

          ●鎮魂石、御神体、御宮について

          鎮魂で使用する鎮魂石は、ひふみ神示の770にあるように本来は無くても行えますが、最初のうちは、対象物がないと、どこに集中して良いのか分からないので集中できない、或いは集中が続かない等になりますが、磨かれていない者が鎮魂石を用いると石に自身の霊(念)が入りますので、鎮魂を行うと石に穢れが蓄積され、その石にまた鎮魂する事でその穢れをさらに受ける事になるのです。 これでは到底神界に通じる事はなく、むしろ中有界、幽界に通じる事になるのです。 そこで現在ではより安全で効果的な火に対して

          ●鎮魂石、御神体、御宮について

          ●主神とは

          天之御中主大神様(あめのみなかぬしのおほかみさま)です。 全てを完備された根本の中心の神様であり、天地創造、宇宙を創られた神様です。 天・地・日(火)・月(水)の全てにおいてお構いされる神々様を 「大明地皇大神様」(おおあけちすめおほかみさま)と言います。 厳瑞

          ●神の働きとは

          皆様の思う神様とは、神社や宗教団体などで崇められている固有の神様などを想像される方もおられるかと思われますが、神とは大自然の働きそのものの事であります。 大宇宙の循環、太陽の日の恵み、月の恵み、野山など大地の恵み、雨風の働き、海、川、湖などの恵みなど自然の恵みを太古より敬い感謝してきたのです。 そして、この神々様の働きが一瞬でも止まる事があれば、この世の人間や動植物など、全ての生物は生きて行く事が出来ないのです。 この万物を育む働きを神と言い、太古より敬ってきたのです。

          ●神の働きとは

          ●神様とは

          神様とは、分かり易く説明しますと、人間にとっての空気のような存在であるのです。 人は空気の事を当たり前のように意識もせず、恩恵も感じず当たり前の如く誰もが空気を呼吸していますが、それは空気が「見えず、聞こえず、無味無臭で、感触も無い」為に人間の五感では何も感じないだけですが、空気が無くなれば人は即死んでしまいます。 この空気も神の一部でありますが、人間の五感では神様の事を何も感じない為に、最も恩恵を頂いている神様の事を「最も蔑ろ」にしているのです。 全ての生物は、この世も霊

          ●神縁について2

          自分の意志で実践で行動すれば、良くも悪くも必ずその流れや縁が出てきます。 また、縁とは自らの心の思想で繋がるものであり、心の善悪に応じその思想に同調するものに繋がります。 つまり霊的に想念(心)が感応する事で現世に現れて来るのです。 また、神縁とは神の導きによる縁の事を神縁と言います。 これは、その人にとって必要となる縁を与えてくださいます。 主にその人の学びや改心など救いの為に神はお手伝いをしてくださる縁になります。 厳瑞

          ●神縁について2

          ●神縁について1

          人は、目標や目的や希望も無く、また不幸や困難に遭遇した時に信念が無ければ心惑わされ自己逃避し道を誤ってしまう事にもなります。 物質的な過度の欲望がある場合は、同じような欲望を有する者との縁が出てきます。 しかし真の神を思い、心から世人の幸せを欲せば神の導きにより神縁が出てくるのです。 大切な事は人としての理(道)に従い、目標を定め維持、継続する事が行であります。やがてこれが信念となるのです。 厳瑞

          ●神縁について1