「非凡の凡、凡の非凡」 非凡とは凡では無い、凡を極めた者は非凡と化す。 さらに、凡の非凡とは無私に至り、それを血肉化し、体得した地点から現実の生々しい日常へと参入する事である。 凡の非凡へと変容した人物は一見極普通の人物と見える。 そのような人物からは異様な静けさが漂う。
「私」というのは、この肉体であろうか? そればかりではあるまい 感情であろうか? 思考は私だろうか? そうでもあるまい この身体の境界線の外の空間は、私ではないのか? そんなことでもあるまい 内も外も含めて、私だ 私とは、結局のところ宇宙ではないのか その体験を無私と言うのである