湯呑みが割れた日に
マウさんの作った湯呑みが割れた、朝。
かなしい。
たぶん15年くらい使っていて、気に入ってた。
非常にかなしい。
物が壊れたとき、ああ、と思ったあとで、
形あるものはいつか壊れる
とすぐに言い聞かせる。
こどもたちにもそう伝えてきた。
まあ、しょうがない。
マウさんは、メキシコ人だ。
大学のときに、同じ専攻で、一緒に勉強
していた留学生だった。
マウさんは当時、たぶん25歳くらいで、
わたしはまだ19歳だった。
わたしは工芸科、という学科にいたが、
うちの大学は、一年次に、学科の中の、
いろいろな専門分野をお試しで体験して
ひとつを選び、2年生から、
専門的な勉強に入る、
というカリキュラムをとっていた。
このような、やり方をする大学は
あまりない。
専攻は6つあり、それぞれの専門を、
漆部屋とか、陶磁部屋、染部屋、
のように「部屋」と呼んでいた。
まるで角界のよう。
2年生からは、○○部屋、の中に入り、
2年生から大学院2年生までが、その部屋に
ごっちゃに混在する。
一人に一つ、事務机みたいな
のが与えられ、そこが自分の定位置になる。
机の位置は自由なので、
だから、2年生の隣りの席が院2年生、だったり、留学生だったりもする。
学科の授業の時は、別の教室に移動して
受けるが、大半の時間を、自分の、
その専攻のある部屋で過ごすのだ。
後輩は先輩と日常の大半を同じ部屋で過ごす。
わたしは、先輩と雑談をするのが
すきだった。
お姉さま、お兄さまがたの、いろんな
おとならしい話を聞くことも。
そして、同じ部屋で、先輩の作業を見られる。
教授陣もそれぞれに、工芸作家であるから、
それぞれの仕事を持っていて、作るのを
見せてもらうことができる。
先輩たちが、何をしているのか、
近くで見られる
という体験は、19歳のわたしには
当時、有難いものだとも思っていなかったが、
今考えると、とても有り難くて
すばらしいシステムだ。
勉強、というのは、つくづく、あとになって
もっとしとけばよかったな、
あんなに恵まれた環境にいたのにな、
と気づくものなのです。
留学生はマウさんのほかに、韓国のかたが
何人かいて、それぞれのお国柄を感じながら
日々過ごしていた。
例えばキムさんは、お弁当に手作りキムチが
必ず入っており、
お昼タイムには部屋中にキムチ臭がしていた。そしてさすがは韓国、儒教の精神。
目上、先生に対しての敬い方がすごい。
先生!ありがとうございます!
という感じですごいのだ。
先生が部屋に入ってくると、
何をしていたとしても立ち上がらんばかりだ。
その姿勢もピシッとしている。
これは、兵役で培ったものかもしれない。
キムさんはもう30歳くらいで、妻子もいて、
たぶん兵役も経験していたと思う。
マウさんは、とても陽気なメキシコ人だった。
ほんとのラテンの感じってこうなのかあ。
とにかくいつも明るい。
とにかく明るいマウ。
マウさんには日本人の奥さんがいて、
一緒に来日し、
奥さんも同じ学校で勉強していた。
この奥さん、なおこさんは、
たぶん純日本人だが、
ずっとメキシコで育ってきた方で、
日本語はあまり得意でなかった。
国籍がどちらかは知らない。
マウさんとはメキシコで知り合い、結婚し、
日本へは2人で、勉強しにきた、という
ちょっと珍しいカップル。
マウさんが超ラテンの陽、のキャラなのに
対して、奥さんは、とても物静かで
おとなしく、陰、のオーラを纏っておられた。
見た目にはギャップが激しい2人だが、
でも2人はとてもなかよしで、
マウさんは、よく、
「なおこは最高」
と褒めていた。
人は、人に見えているキャラだけで
できてはいない。
マウさんの中の陰。
なおこさんの中の陽。
2人でいると、居心地いいんだな。
と、わたしは幼いながらも、
うらやましかった。
いつも明るいマウさんが、ある日わたしに、
「先生に、君は無私の人だ、と言われた」
と嬉しそうに言った。
無私の人
という意味がわからなかった、当時19歳の
わたしは、
は。先生何言ってんの。悪口やん。
と思って、びっくりした。
無私。私が、無い、なんて。
芸術家としていちばんあかんことやん。
美大生なんて、自分を表現してなんぼ、
我がが我がが、で当たり前。
自分が自分が、の我利我利ガリクソンである。
でもそうでなければいけない、と
思っていたわたしは、
無私の人
なんて、言われても、嬉しくもなんとも
ない、と思っていた。
無私
の意味も知らずに。
マウさんは意味も、教えてもらったのだろう、
とても嬉しそうだった。
異国で、そうあろうと、そう振る舞おうと、
自身に決めて、日々を過ごしていたのかも
しれない。
見た目にはとにかく明るく。
でも、みんなの居心地のよい部屋、にする
ために1番こころを砕いていたかもしれない。
今46歳になり、わたしにもやっと、
無私の人
という言葉が、どれだけ人として素晴らしい
最上の褒め言葉か、
という事がわかるようになったよ。
それを言った教授ももうこの世に居ない。
また、マウさんの湯呑みを使いたい。
作っておられるといいな。