老子34:大道(タオ)の性質
老子の第三十四章の原文と現代語訳、そして独自の視点による解説を以下に示します。
原文
大道汎兮、其可左右。 万物恃之以生而不辞、功成而不有。 衣養万物而不為主、常無欲可名於小。 万物帰焉而不為主、可名為大。 以其終不自為大、故能成其大。
現代語訳
大道(タオ)は無限に広がり、どこにでも存在し、誰にも偏らない。
すべてのものはタオに依り生きているが、タオは何も要求せず、その功績を誇らない。
タオは万物を包み養うが、それによって支配者になろうとはしない。
欲がないので、小さく見えることもある。
しかし、すべてのものはタオに帰し、支配しないからこそ、それは偉大であるといえる。
自らを偉大としないことで、かえって偉大なものとなる。
詳しい解説
老子第三十四章では、「大道」(タオ)の性質について述べられています。この章の中心的なメッセージは、「無為自然」という考え方を軸に、タオの無私無欲であることの偉大さが描かれています。これを解説するために、いくつかの要点に分けて説明します。
1. 「大道」は無限に広がり、すべてを包む
「大道汎兮、其可左右」という部分は、タオがあらゆるところに存在し、特定のものに偏らないことを示しています。タオは宇宙のあらゆる事象に遍在しており、何も選ばず、誰にも偏らない。この「遍在性」が、タオの大きな特徴です。まるで大気のように、我々はその存在を感じることは難しいが、それがないと生命は成り立たないという性質を持っています。
2. すべてを生かし、何も要求しない
「万物恃之以生而不辞、功成而不有」とは、万物がタオに依存して生きているにもかかわらず、タオはそれを主張したり見返りを求めたりしないことを意味します。タオは万物を養い育てながらも、その功績を誇らず、何も所有しない。この考え方は、人間の行動にも応用でき、何かを成し遂げてもそれに固執せず、成果に執着しない生き方が理想とされています。
3. 支配しないからこそ偉大
「衣養万物而不為主、常無欲可名於小」という部分は、タオが万物を支えながらも、それを支配しようとしないという点が強調されています。タオには欲がないため、主導権を取ることもなく、見た目には小さく感じられることもあるかもしれません。しかし、だからこそタオは真に偉大な存在だと老子は説いています。「無欲であることが小さく見える」というのは、私たちの日常生活にも通じます。人が自分の功績や地位を誇らないとき、それは一見小さく見えるかもしれませんが、実際にはそれが最も強い力であり、自然なあり方です。
4. 自己主張をせず、それゆえに偉大
「万物帰焉而不為主、可名為大。以其終不自為大、故能成其大」という最後の部分は、タオが偉大さを求めないからこそ、偉大であるという逆説的な真理を表しています。タオは万物を包み込み、支配しようとはしない。その結果、タオの存在は大きなものとして感じられるのです。この考え方は、自己主張を控え、謙虚に生きることがかえって人々に尊敬される道であるという教訓として理解できます。
独自の視点:無私の行動と自然なリーダーシップ
この章を現代の視点で解釈すると、リーダーシップのあり方に通じる教訓が見えてきます。真のリーダーシップとは、強引に何かを達成したり、他者を支配したりすることではなく、自然に周囲の人々を助け、彼らが成長できるよう支援する姿勢にあります。タオのように、自らの力を誇示せず、控えめに行動することで、自然に周囲がついてくるようなリーダーシップが理想です。成功や功績に固執せず、それがただ自然に成し遂げられたものだと認識することが、究極の強さと偉大さに繋がるというメッセージは、現代社会でも有効です。
さらに、私たちの日常生活でも、何かを成し遂げるために過度に努力しようとせず、自然に任せることが大切であることを教えてくれます。タオの教えは、無理に物事を進めるのではなく、自然な流れに身を委ねることで、結果としてうまくいくという哲学です。これは、ストレスやプレッシャーに対処する際の指針にもなり、バランスを保ちながら、無理なく生きるための知恵です。
老子の第三十四章は、自然に身を任せる生き方を説くと同時に、謙虚さや無欲の価値を強調し、現代社会にも多くの示唆を与えています。
「無私の努力」は宇宙のエネルギーのような姿勢だと思います。地球上にあっては「大気」のようなものですね。だれも一一意識しないけれども無くなるとたちまちにして困る。大いなる存在。自らが為すべきことを決めるときの決め手は、そこに空気を感じるからではないでしょうか。
私達は人間ですから、食べて寝て起きるを繰り返しています。勝手に生きているようですが、何か偉大なるものに導かれているような気がしています。それを単に「神」と呼ぶのは簡単です。目にも見えない、耳にも聞こえない、五感では感じることのない偉大で確かな存在を。
大道は崇め奉るものではありません。また大道はそんなことを少しも求めていないし、自らを尊び拝めよと意識しているわけがありません。自然の摂理と言い換えても同じです。そういう人間臭い理性や感情すら持っていないように感じます。ですが、確かに私達を見事に包みこんでいます。
ただ為すべきことを坦々と黙々と進めていく。少しも私というものがない「大道」に導かれながら、無心で努力を続ける。屈託のない生き方。そういうタオとしか言いようのない理念を胸に秘めて、静かに明らかに朗らかに生きて活きたいと念じております。
”タオやかに生きる”
ご覧頂き有難うございます。
念水庵
何でもない自然の中に咲く花、生命。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?