粘り強さという価値 トヨタだってもともとは素人だよ
パリオリンピックが終わったけれど、スポーツ選手の中では、もともと体が弱かったと言う人が意外に多いんだよ。
本当は弱い体を強くするためにスポーツを始めたんだけれども、粘り強くやってるうちに抜きんでてきて、オリンピックの代表選手にまでなったりするんだよ。
これは普通の人にも言えると思うんだよね。ある雑誌に出ていたんだけれども、元巨人軍の王貞治選手のスーツを作ったり、各界の有名人のスーツを仕立てたりして、内閣総理大臣賞までもらった人がいるんだけど、もともと満州から引き上げた戦災孤児だったそうなんだ。
13歳ぐらいで満州から引き上げてきたんだけれども、全く身寄りがない天涯孤独で、たまたま台東区にある洋服の仕立て屋さんのところに小僧募集と言う張り紙があったから、転がり込むように応募したんだそうだよ。
そしたらそこの親方に言われたのは、厳しいぞ、10年続いたやつは1人もいないぞ。それでもやるかと言われて、生きていく食い扶持もないから、はいと言ったそうだよ。
そうしたらとにかく厳しくて、ちょっとでも間違えると定規の角のところで思いっきり頭をぶん殴られるのには耐えられなかったと書いてあったよ。
だけど、10年間、ただひたすらに技術を習得して、ついに13年目で独立したときに、巨人軍の広岡さんのスーツを作ることになったりして、どんどんと成功していたんだね。
こうした基本的な当たり前のことをやることを、仏教では凡事徹底と言うみたいだね。
お寺でも最初は水汲みとか薪割りとか、仏教の修行とはあんまり関係なさそうなことをコツコツとやらされるようだよ。
だけどもこうしたことに耐えて粘り強さが出てくると、お経なんかもしっかり読めるようになってきて、その深い意味もわかるようだね。
仏教の難しいところは、例えば無私とか無我と言うところがあるけれども、深く考えないとわからないよね。
多分これは、無執着と言う事と関係があるんだと思うけれども、自分の利害や自分の将来の不安とか、自分がどう評価されるとか、そういうことを全く考えない気持ちなんだろうと思うよ。
そうすると、相手の苦しみとか、相手の悩みとか、そっちのほうに考えの焦点が移っていて、同悲同苦とも言うけれども、本当に人間に対する思いやりや、慈しみというのが出てくるんだろうね。
トヨタなんかでも、今でこそ世界最高と言われているけども、最初はアメリカ大陸を横断しただけでポンコツになるような品質の悪い車として有名だったそうじゃないか。
それが1つずつ部品や構造、長持ちするものに見直すことによって評価を高め進出を高めたんだろう。
トヨタでは「なぜ」を5回繰り返すと言うけれども、これも結局考え方が深まっていて、人が思いつかないところまで、防止策ができるようになるんだろうね。
とにかく粘り強くあきらめないことの価値と言うのは、果てしなく深いものみたいだから、やはり心に止めたおいたほうがいいね。
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