あるがままを照らす
青々と茂った新緑をついこの間見た気がする
新緑は元気で
無鉄砲で
鮮烈だ
そして少々無知なのかもしれない
わたしたちの若いころのように
彼は身の丈以上を取り込もうとする
新鮮な空気を
太陽光線を
朝露のきらめきを
そして彼は謳歌する
無垢な性を
溢れ出る生命を
小鳥や虫たちとの交歓を
夏が来て、日に日に樹々は緑を深める
クロロフィルをたくわえる
秋霜とともに彼らは赤や黄に色づく
そしてやがてその枝から身を離す
紅葉は、いさぎよく散る
それは数枚が風に舞い、
それを合図に数十枚、ときに数百枚が一斉に乱舞する
その後の彼らを知っているだろうか
無聊を持て余した人間たちが「紅葉狩り」と称し、
その散る様を眺め、浮かれ、詩心を掻き立て、感慨に浸る
無神経にも、その足元の下敷きには落ち葉がある
それが彼らだ
泥にまみれ、茶褐色に変色し、やがて泥に帰る
それを人間の生と重ねるには
あまりにも虚しいことなのか
人はそれを「もののあはれ」とか「無常」とか言っては自身を慰めてきた
ちっぽけな自己が
そのところを得たいがために
あるがままを踏みにじってきた
人間はけっしてあるがままを見ない。
自分をも外界をもである。
そこには、奥底から来る恐怖がある。
その恐怖があるがままに見ることを強烈に拒む。
なぜそれほどにも「あるがまま」から目を逸らすのだろうか?
何をそれほどまでに恐れているのだろうか?
それは、自分が実は「なにもないものである」ことが見えているからではないか。
自分が「ない」ことを恐れる。
「無私」を称賛しながらも。
たとえそれがどのような自分であっても、
自分のおかしな癖やちょっとしたしぐさに至るまで愛する。
個性といわれる自我を溺愛する。
そこに生きている証を見てきたからだ。
だから「死」を人は恐れる。
死はあるがままにすべてを持ち去って行ってしまう。
そこにある虚無を人は断じて認めたくない。
なぜなら、その未知の虚無よりも、既知の「満たされてきた時空」が終わることを恐れているからだ。
その中身がどれほど苦しくまた悲しくともである。
既知という「過去」が自己である。
過去は自己のすべてが詰まった函である。
その蓋が開いて、すべてがこぼれ出てしまうのは見るに堪えない。
だから自己を失うことが痛烈にこたえるのだ。
もし、自己がこの人生と言われる時空の中で、50年や100年生きて、そして死んで何もなくなるという事実をあるがままにみたときに──すなわち自己が終わるという事実を「真理」とするときに、私たちは真理に大いに抵抗し、文句をつける。
事実に対して謀反をする。
私たちはそのままでは終わらない、終わるはずがないと。
深く考えるもの、賢いものほどそこに「終わるはずのない理由」を打ち出して、それに永遠の命を吹き込んだ。
このようにして、あるがままの事実は、こうあればいい願望に変貌されてきた。
「あるがまま」はついにそうあることから退散した。
あるがままであるとき、自己は存在しない。
おそらくあなたはそれに反発するだろう。
なぜなら私も猛烈に反発するからだ。
ちっぽけであろうが、奇矯であろうが「五分の魂」ほどの軽い自己であっても、自分は自分。
なくなりはしない、無いわけがない。
この世の思い出という執着がそう云わしめる。
ここで洞察が必要である。
万人が万人ともそうであることを認めよう。
それが人間であることも認めよう。
「死は忌むべきもの」そうだろう。
それを私は骨身に突き刺さるほど知っている。
しかし、すべてが去ってしまった「虚無」を私たちは知っているのだろうか?
その静謐の中身を。
輪廻転生というが、
輪廻しているのは人の思考ではないだろうか?
今生で生まれ変われない人間に
どうして来世で転生が可能だろうか?
また、生まれ変われた人間に
どうして転生があり得るだろうか?
「虚無」を「空」とか「無」「虚空」として、果たしてそれが虚無だろうか?
私たちの想起するような、それは伽藍洞の無機的な空間なのだろうか?
それは静的で生の躍動もないようなものなのだろうか?
たとえそれが何であれ「愛」として愛してきたその情念が朽ち果ててしまうのだろうか?
そこが、果たして私のちっぽけな自我すらも泳ぐことのできる無辺の空間でないという理由がどこにあるのだろうか?
「虚無」を「死」と同一視してはいないだろうか?
「虚無」は、果たして「輪廻転生」のような閉塞的な世界観を笑ってはいないだろうか?
それは、今生(実有)の世界ではなく、前世や来世という虚構(仮有)の世界を謂ってはいないだろうか?
でなければ、なぜ星々は輝き
雲は流れ
火山は噴火し
大地は鳴動するのだろうか?
星雲は転回するのだろうか?
虚空の空間で・・。
数千年、数万年と連綿と続いてきた人類の生という一つの執着に、
そのもはや錆びて朽ちてびくりとも動かなくなった鉄の扉のように、不動のものとなった先入観。
その扉を押し開けることは不可能なことなのだろうか?
生という幻想を見晴らすとき、 拓けてくる虚無という、実は無量の世界。
──激しく落ち、そして風に舞う落葉を見ながら。