Monikodo

この代わり映えのしない現実に「No!」を、そしてこの”地上的な餘に地上的”な世界に「Enough!」を。

Monikodo

この代わり映えのしない現実に「No!」を、そしてこの”地上的な餘に地上的”な世界に「Enough!」を。

マガジン

  • 最後に訪れるフィールド

    これまでの時代は、「宗教」や「哲学」を研鑽したり、あるいは「道徳」的なものを教訓や生きる糧にしてきた。そこにはさまざまな聖人や賢人、偉人たちの教えがあった。 しかし、いったんそれらをすべて捨て去って、私たちはだれでもない「自己」の内側に入っていこうではないか? なぜなら、そういう時代に入ったからだ。 地上のさまざまな景物を見終えて、最後に訪れるフィールド。 そここそ、ほかならない自分自身の内側ではないか? そして、そこからまた新たな旅が始まるのではないか?

  • エイリアンインタビュー 人類の新たな神話

    真偽の壁を超えた「個人の不滅神話」に分け入る。前・後篇

  • Mystery Zone 問わず語り

    ふとした疑問についての私感を述べています。これをきっかけにあなたも自身に問いかけてください。

  • 「病気」この未知なるもの

    私たちは、「病」についてほとんどわかっていない。 それは、元来、臨床医学の世界を超えて、生き方や哲学の領域をも含む問題だ。 またそうでなければ、その原因など見えてこない。 俗に「社会が病む」などと比喩的に語られるそれと、私たちの身近な精神的・肉体的な病とは別物ではない。 さらにNWO(世界支配構造)と医療制度の深刻な社会的な影響力を外しては、そこに何も見えてこないだろう。 「病気」と言われる症状が果たして忌み嫌われるような「悪者」なのか? その症状を消したり、攻撃することが果たして「正義」なのか? むしろ、「病」を「病」として認識できない麻痺した判断力そのものに、病根を見なくてはならないのではないか?

  • 生活の発見(箴言・戯言集)

    「低俗と超俗」「明快と晦渋」「主体と客体」・・・「自分」を含む地上の景物がどんどん遠のいてゆく。二つのものがほころび、やがて一つになる。それを君はユーモアと知るや、アイロニーと解するや? 地上的な餘に地上的な万象が、哀れで愚かで滑稽で、しかも美しい。何気ない日常の生活の場に一条の光が差し込む。

最近の記事

  • 固定された記事

思いがけない世界【自由について】

これからお話しすることは、多くの方々の、そして私の世界観の否定です。 それはイメージの否定であり、先入観の否定、固定概念の否定、アイデンティティの否定、自負心の否定、願望の否定、過去の否定、肯定(受け入れること)の否定、信じることの否定、幻想の否定、理解することの否定、寛容の否定・・・その他もろもろの私たちの慣習の否定です。 私たちは、もはやこれ以上虚構──支える杖や、つかまる手すり、拠り所──にしがみつくことをやめたのです。 ──そんなたくさん、あれもこれも否定なんかでき

    • 大事なものを持っていけますか?

      このところ、おもしろいことに気が付いてきました。 いや、ずーっと前から気が付いていたんですが、どーもそれに触れたくなかったというか・・。 あなたも私も「大事なもの」ってありますね。 といっても、それではないですよ。 そんなごたいそーなものではなく大事なものです。 お宝とかもそうでしょうが、思い入れがある品とか。 大切な本とか。 お気に入りの絵とか。 ま、預金通帳という方もいても別に普通です。 不動産売買契約書とか重要事項説明書。 お金持ちの方などは李朝時代の壺とか、曰く由緒

      • 戦争と理想【光のさすところ】

        戦争は最大の犯罪である。 それを云々する前に、私たちは再確認しなくてはならないでしょう。 誰一人戦争に賛同するものはいない事実を。 たとえその参謀者であっても、そのものの家族、愛する妻や息子、娘などを戦禍で失うことを恐れるだろうからです。 そうしてもう一つ確認しなくてはならないのは、戦争にはその原因(犯人)があるということです。 誰一人として賛同しないものを(たとえ不本意にせよ)戦争に導くようなとてつもない力がどこからやってくるのかです。 それが分かれば、もうそこに戦争

        • とらわれ

          生 それがかつてどこにもなかったもの、 常に新鮮なもの、 前代未聞のものでなくて、 どうしてそれを「生」と言えるのでしょうか? 私たちの生きている「生」が、ただ過去の反復、ルーティンであったとき、またその思考の内容そのものが、既存の「枠」や「型」の中でのあれやこれやであったとき、 あらゆる既知のものであったとき、 それがどうして腐敗、退廃をもたらす以外の何かであるのですか?  それをどうして「生」と言えるのでしょうか? 私たちはその思うところのもの 私たちは、

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        思いがけない世界【自由について】

        マガジン

        • 最後に訪れるフィールド
          99本
        • エイリアンインタビュー 人類の新たな神話
          2本
        • Mystery Zone 問わず語り
          5本
        • 「病気」この未知なるもの
          6本
        • 生活の発見(箴言・戯言集)
          29本
        • 気づきということ
          6本

        記事

          源泉

          源泉  流れているのではなく、湧き出ている。 真理はあなたに苦い 執着から自由になるには、一切を手放すことですか? 一切を手放すこともそれは執着です。 なぜなら、執着ゆえにそれができないからです。 出来ないから手放そうとします。 出来れば手放しています。 私たちは執着に馴染んできました。 死を恐れるほどにです(変換でも「し」と入れると「死」は最後の方に出てきます)。 もし、自らの命を絶つのであれば、それはエゴへの、または大義や信念という無形のものへの執着です。

          たとえば水とか、

          あなたは、その言葉の意味をご存じですか? たとえば水とか、 あなたは、その言葉を使います。 では、水とは何ですか? それは、その言葉の指すところの実体ですか? それともその言葉そのものですか? あなたは水を知っていますか? ある農家の方は、それは「雨」というもう一つ別な言葉と非常に近しいものととらえています。 そう、空から降ってくる液体の「雨」です。 では雨と水は同じものですか? 少なくとも、その農家の方には同じような存在です。 雨が降る降らないということが、とても大切な

          たとえば水とか、

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          イメージは暴力・破壊・殺戮をたやすく正当化する【戦争の作り方】

          0:00 イントロ 0:55 戦争プロパガンダの代表的な研究 2:01 我々は戦争をしたくはない 4:31 しかし敵側が一方的に戦争を望んだ 6:22 敵の指導者は悪魔のような人間だ 8:19 我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う 10:06 我々も誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる 11:39 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている 12:30 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大 13:31 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している 15:17 我々の大義は神聖なものである 16:26 この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である 17:55 現代の戦争プロパガンダ 19:13 戦争プロパガンダを見破るには

          イメージは暴力・破壊・殺戮をたやすく正当化する【戦争の作り方】

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          世界は救われず、自分だけが救われる

          これは私の過程であり、通過点です。だからあなたはすでにこの問題を経て来たでしょうし、またはこれから経ていくことになるでしょう。 世界が他人事である者にとって、この問題は去来しません。なぜなら彼は何かどこかで自らのメリットになるものがないかを探しているからです。それはキャリア、地位、権威といった物質的なものに限らず、感覚的、感情的、知的、霊的、精神的な満足を探しているからです。刺激を求めてさまよっているからです。 彼は決して自分のこと、つまり外界以外を探しません。 そうではな

          世界は救われず、自分だけが救われる

          直球すぎて思わず見送ります【野崎さんの凄さ】

          「ご家庭の料理のほうが料理屋よりもおいしいのです」 「プロが正しいわけではないんです。プロの正しさはお金儲けすることです」 「いまの子供たちは魚が嫌いです。なぜかと言いますと(料理法がダメだから)魚が不味いのです」 「どうして出汁が必要ですか? 素材から十分出汁が出ていますから、水を足してください」 「鳥の鍋にどうして鰹節(魚)が必要ですか?」 「あれもこれも旨味を入れることで、ボケて旨くなくなります」 ・・・(これらは思い出して書いておりますので、実際のご発言と異なります)

          直球すぎて思わず見送ります【野崎さんの凄さ】

          彼岸と此岸

          宇宙 宇宙と言うとき、あなたは宇宙と離れている。 世界と言うとき、あなたは世界から孤立している。 人類というとき、あなたは人類と離れたなにか別のものである。 肝心のあなたが不在だからだ。 だから、そうしたアプローチはまったく無意味であり、 そうした論理は不毛である。 目的 目的は死である。 目的は達成するために設けられる。 達成はゴールであり、終着点である。 その先はない。 だから目的は死である。 生には目的がない。 もしくは、決して達成できないものである。

          彼岸と此岸

          どーでもよいもの あるいは「ダンジイズム」についてをどーでもよく記す

          少し息抜きのつもりでお読みください。 「無用の用」ではないですが、世の中にはそれがあっても別に困らないし大勢に影響しないが、なくてもまた一向にかまわないもの、といったものが存在しますね。 もちろん、「ところ変われば」ではないですが、例えば職人の道具や治具(じぐ)などの多くは、一般には無くてもいいものですが、彼らにとっては必携の”命の次に大事なもの”です。しかも、それらによって家や家具などが作られるわけですから、そうした類は立派に存在価値があるわけです。 また、絵画や音楽など

          どーでもよいもの あるいは「ダンジイズム」についてをどーでもよく記す

          遁走する人たち(分離している世界)

          何処から逃れようとしているのか?何から逃れようとしているのか? 何処から、そして何処に遁走しようとしているのか? 世界の奇怪な構造、その出来事からか? その陰謀の層 その底なし沼 疑心暗鬼 地震予告 火災 異常気象 転変地変 人口削減 全体主義 予言 神示 終末論 アポカリプス そこからか? それらは在りうべからざる世界だからか? 警鐘を乱打するのか? または隠れた闇を炙り出すのか? それはむしろ、闇に活力を与える結果を招く。 人々は、それによってさらに不安と恐怖

          遁走する人たち(分離している世界)

          選り好み

          いわゆる、「君子・・・すべからず」的な羅列。 孔子が、食に対してもうるさかったのは有名な話だが、あなたはその態度をどう受け止められるでしょうか? 「肉魚を日常的に食べている」 「しかも、その鮮度から調理法、作法までこだわる」 いいご身分だ、というのが私の第一印象である。 食卓に馳走が並ぶ。 気に入らなければ食べない。 すなわち、ここに挙げられている論語の記述を見る限り、特権階級とまでは謂わないまでも、それは官僚的で高いところからものを申している所作に見えるからである。

          選り好み

          わたしたちは永遠に途上にある

          語りつくせない 語るものは 語りつくして やがて彼方へと去ってゆく 昔からの私の持論は、人間というものは、着(き)のままで自由で幸せなものである、ということです。 おそろしくシンプルで、そこに何の議論をさしはさむ余地もないほどです。 なぜに堂々と、悪びれもせずにそんな大言壮語を言えるのか? おそらくは、この往く当ても見えない人生航路において何度も座礁し、沈没し、救援を叫んだり、、、と、およそ順風満帆にはいかない自らの生のあり様を眺めやるとき、かえってそこにそう言わしめる何

          わたしたちは永遠に途上にある

          「注意」に注意を向けてみると

          「火の元注意」「頭上注意」「前方注意」「割れ物注意」「熱中症注意」「振り込め詐欺注意」などは、事前の注意を促す意味では一応納得できる類のものだ。 しかし、クルマの運転をしていると、一見「そうか、了解!」と同意しては見たものの、すぐさま、はたと困惑するような標識に出合ったりする。「その注意の後の対処法はいかに」と心中ブツブツつぶやきつつ、ついハンドルを握る手に力を入れてみたり、ブレーキ、アクセルの緩急を意識してみたりしてやり過ごすのが常だ。もちろん、「悶々」は吹っ切れないまま。

          「注意」に注意を向けてみると

          自分とその景色

          自分と、その自分が見ている景色は同じである。 しかし、万人が万人とも、両者を分断し、その景色のみに拘泥し、執着し、肝心の自分自身については忘れている。 境遇が、環境が、世界が・・・ つまり宇宙が「我」を規定し(そうあらしめ)ていることは、 すなわち「我」が宇宙そのものであり、それを創造しているからに他ならない。 創造者と被造者は一つである。 (創るという行為は、すでに創られたものを予想しており、創られたものは それを創ったものの存在を暗示している) 観察者と被観察者は一つ

          自分とその景色