人間力の礎≒心の土台石
非認知能力=人間力の「心の礎」
人の揺れ動く心を支えている土台石
=礎は一体どんなものなのでしょう❓
2008年、HP.のタイトルを付ける時、
今迄のサービス業での心技体の学び、
数え切れない人々との出会い触合い、
人間的に至らない処が多く道に外れた
ことばかりして来た、私なのに生かし、
支援して頂けた訳は何なのか❓を顧み
身勝手に解釈し、それはおもてなしや
接客サービスで身に着いた所作である
と受止めました。
人生後半に運よく知り得た「思い遣り」を
表す形(所作)がマナーであると気付いた
ので、人間的に未熟だったのに今がある
のは所作が土台石だったのではないかと
思い接客マナーは心の礎と名付けました。
故に【思い遣りを表す形が「マナー」です】
とサブタイトルを付けました。
最近、教育の場で行政が広げつつある
「人生を豊かにする力」※非認知能力の
一つ思い遣りに該当すると知りました。
※非認知能力の解説
人間の能力は、大きく「認知能力」と
「非認知能力」の二種類に分けられます。
認知能力とは、
IQ(知能指数)に代表される点数などで
数値化できる知的能力のことです。
非認知能力とは、
認知能力以外の能力を広く示す言葉で、
テストなどで数値化することが難しい
内面的なスキルを指します。
(以上、文部科学省の記事より部分転載)
この非認知能力は人間力の※1.礎です。
※1.礎は一般的に土台石。
物事の基礎となる大切なもの。
また、その人。のことを言います。
そしてこの礎は、
他人を思い遣る心に溢れ心豊かな人、
個性的で魅力的な人間力の土台石です。
同時に、今後の少子高齢化社会の日本に
必要不可欠で大切な人間力の土台石です。
日本人の「心の礎」は、
自然との調和、大和魂、武士道、道徳、
モラル、人として正しい判断、認める、
筋を通す、感謝、受け入れる、素直、
謙虚さ、立場転換、誠実などと言った
様々な要素の石によって作られます。
では、そのような日本人の心の土台石は、
どんなことを意味しどんな活動でしょうか❓
その取組みをする際に心掛けることは、
自分の当たり前や常識を総て捨てること。
💖心の礎【感謝】
一例をあげれば「感謝」、
感謝はどんな語彙でどういった気持で
どの様にして表わし伝えることなのか?
私は、
正直、読み書きは大嫌いでおもてなしや
接客接遇サービスの現場に立つことしか
して来ませんでしたから感謝の語彙さえ
知らに人生後半まで生き来てしまい感謝
の語彙に関する知識や感謝の心身の活動
が何たるか?も知らず本やネットで色々
調べましたが具体的な説明は見つけられ
まんでした。
辞書検索で感謝の意味を知り過去の体験
に照らし「有り難う」とはこう言うことか
と知りこの語彙も知らずにサービス業に
関わり他人を導いて来たことを恥じました。
どのような方法で学びそれを活動に生かすには、
先ず「感謝」がどんな意味なのかを知識として
確りと心に植え付けることをお勧めします。
この「感謝」は、
一般的に相手に伝えるだけものと考えがちですが、
その気持ちだけでは心の篭った感謝は伝えること
が出来ないと言うことを心に刻み込むことです。
私心のない、遜った謙虚な心で
「嬉しい」
「有り難い」
「お陰様で」
と深く念じてこそ、伝えたい相手の心に
伝わり、心に響く感謝の伝達が出来ます。
感謝には、
「私心無き感謝」と「見返りを望む感謝」
この二つがあります。
「私心無き感謝」の具体例は、
2011年の東日本大震災後今でも忘れない
被災者の方々が言葉にしていた感謝を表し、
伝える「お陰様」と「有難いです」この二つ
感謝(拝謝・多謝・深謝)の言葉です。
被災された人々が、
心の底から感謝を感じ取っているから
自然にとても重みのあるこの言葉で
表現していると感じ取りました。
人は心の底から本当に感謝を表し伝える時は、
「お陰様で有難いです」
「お陰さまでありがとう御座います」
と自然と口に出るんだなぁと感じ取りました。
と同時に、
この言葉の重さ、大切さを思い知らされました。
生活やおもてなし、接客・接遇サービスの
仕事の場で耳にする「ありがとう御座います」
のこの言葉にこんな重さがあっただろうか❓、
見返りを望まず無私の心で伝えていたか❓と
改めて深く考えさせられました。
この「見返りを望む感謝」はある意味、
感謝は人を引き寄せる、
自分から感謝しない人が、
一方的に他の方から感謝を
受け取る事は出来ない、
と言ったことも当て嵌まります。
また、
見返りを望む利己的な自分の損得、
個人的な好き嫌いの感情、親交の度合い、
年齢や上下関係、社会的地位などで感謝
の表現の要不要を判断する人がいます。
私心無く、他人に心から感謝することと、
その人への感情や想い、損得勘定は
全く別なものです。
大人になって、善し悪しに関わらず
「見返り」と言う言葉の持つ意味を知り、
子供の頃によく親に見かけたお世話に
なった方に忘れずに何らかの物や行動
でお返しをしていたことを思い出しました。
日本では、
何かをして頂いたり物品を頂いたりするなど、
こちらから感謝をしなくてはならない時、
何らかり形でその心を込めたお返しをする
風習=(お中元・お歳暮・御祝儀・おひねり)
と言う風習があります。
人は他人の出来ないお世話をしたり、
何らかの物などを差上げたりした時、
人は無意識の内に感謝と言う見返り
を求めてしまうものです。
折角他人に親切にしたのに、その相手から
何も感謝の言葉や態度を示されなければ、
がっかりしたり後悔したりしてしまいます。
時には、感謝の言葉や態度が示されず、
その人を許せなくて御縁や人間関係が
途切れてしまうことも少なくありません。
但し、
人として当然「礼」として為すべき感謝が
ない時は疎遠になっても仕方ありません。
人の煩悩=我欲の一つとされる「見返り」を
望み求めて期待する気持ちを持たないよう
に心掛けることは実際、頭で判っていても
中々できないのが人間です。
人は「自分が先に親切にした」と思うから、
感謝の見返りを期待してしまうのです。
では、どうすれば、見返りを求めずに
他人に感謝することが出来るのでしょうか。
他者への感謝、愛情、善意、情け、共感、
奉仕の活動は、いつの日か何らかの形で
必ず自分に返ると体験からも思います。
その相手から直に感謝されなくても
巡り巡って関係のない他の誰かが
返して来れると体験しました。
行為そのものが返ってくると言うよりも、
そういう態度や心掛けが、大切な人や
幸せを引き寄せ呼び込むのです。
折角、他人に親切やお世話をしても、
感謝されなければ、やはり損だ、自分の
親切が無駄になるのは馬鹿馬鹿しいなど
と考え尻込すものも無理はありません。
しかし、自分のした親切を
「感謝の見返りを意識し親切やお世話」
をするのではなく、
「過去に受けた親切やお世話に恩返しをする」
と考えるようすれば良いではないでしょうか。
感謝の活動(言行)は、
見返りを望まず求めず無私の真心を込めて
表し伝えるよう心掛けましょう。
感謝と別な道理や筋を通す、苦難から知ること、
心配や不安を与えないも「心の礎」の一つです。
このような「先心」即ち、
先に日本人や人としての心の知識を知ると
共に「後技」=体験する技の表現「先心後技」を
表すための礼の形や言葉、仕草を身に着ける
ことで心に通い、響く感謝の表現が出来ます。
このようなプロセスを前記した
日本人の自然との調和大和魂、道徳、
感謝、武士道、認知、敬意表現、誠実
謙虚さなどの夫々に当て嵌め、学び知り
その心身の活動を日々積み重ねることで
人間力を育むことが出来ると実感しました。
そして、確りとした「心の軸」を支える
様々な土台石である「心の礎」を築くこと、
言い換えれば、個々人の個性に合わせた
魅力的な人間力=心の礎を身に着けるには、
先ず心の軸の土台となる様々な心の礎の要素
を学び知り、その一つひとつ創り上げて
行くようにすることではないでしょうか。
感謝の記事が多く載せているのは
この心の礎を築くためにも日常生活
に直ぐに生かせる故です。