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時代と共に変化する生き方
人の「生き方」「在り方」と感情の表現
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人には異なる個性・感性があり
感情の動物と言われ、その感情は
その人の「生き方」と「顔付き」に表れます。
一流と言われる人、エンターテナー、
メダリストやプロのスポーツマン、
社会から信頼される経営者・運営者などの
皆さんは、彼らを支えてくれる人や
ファンに対し、決して、自分の喜怒哀楽
の感情を表に出さずに、ファンや支援者へ
感謝(御礼)の表現伝達を決して忘れません。
そして彼らは、
自分自身や仲間、サポーターに対し、
目一杯嬉しさや自分の内なる感情を
身体成体で表現し伝えています。
その人達に共通すると思えることは、
己の持つ感情・感性が豊かであることを
確りと自覚と認識し自分の感情の影響力が
自分の成長やファンの心に如何に大きな影響
と役割を果たすかと言うことを自らの心が
よく知り、認識しているかであると思います。
そして、
本当の意味で自らを大切にすること自覚し、
好き嫌いやその場その時の感情で、
周りの人達や支えてくれるファンに
接することの弊害を自覚認識している
故であると考えられます。
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そう言ったことは、
先人からの学びや自らの苦労や苦難に
より培われてきた心の基礎となる
「在り方」を重んじると共に、
生き方に迷い、能力不足や成長が
止まったと思える時は素直に
「原点回帰」し基本から自分自身を
あらゆる面から見つめ直すことを
怠らない心身の姿勢に表れています。
こう言うことを突き詰めると、
彼達は、己の心身の「在り方」の上にこそ、
自分自身の道、即ち「生き方」がある
と強く認識していると思われます。
では、流れの速い情報過多の現代社会で
生活する私達一般人はどうでしょうか?
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💖感謝の表現伝達を大切にする
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例えば、「感謝」。
感謝の心の表現は、
相手に伝わってこそ生かされ、
いつの日か形を変え自分に返る
と言うことが理解認識出来ず
自分の感情のまま刹那に生き、
利己的な意識で捉え感謝の本質で
ある「礼」の心が何たるかを自分が
理解出来ずに何らかの見返りを
求め望み、人としての「生き方」に
影響する形だけの感謝の表現伝達
の活動を重んじる人もいます。
(私人生の2/3もそうでした😂)
また、過去に受けた情けや恩を忘れ、
人の道に外れる行為も見受けられます。
(若い頃の私💦😪)
一方、
人としての「在り方」を大切にする人は、
感謝の表現伝達にその本質である
「礼」を弁え、いつ、何を以って、
どのような方法でその気持ちを
相手へ遣わせば良いかと言う相手を
「思い遣る」の利他の心で思考行動します。
そして、
「礼に礼を以って返す」のやり取りを
重んじ、最初から見返りを求めたり
望んだり、期待したりしません。
人としての心の在り方は、無私無心の
「かけた情けは、水に流す。
受けた恩は石に刻む」
であると解します。
この言葉は、私達凡人も大切で、
とても重い言葉であると気付きました。