YouTubeの某映画評論家は、映画を評価しているよりも、ただ単に侮辱しているだけの評論家もどきだと思う。 よくまぁそんなにも節穴な感想をペラペラと喋れるなと思う。 こんなことでしか視聴者を集められないのは、YouTube内の環境汚染が年々悪化している証拠?この人も被害者かもね?
SNSで至るどころにいる評論家さんはノーダメでいいなと考える。作品のあらを探して、マルバツをつける。それがバズれば、フォロー数が増えて、みんなに崇められる。そんな人生もいいよなぁ。 だけど、少しだけ醜いと感じる。そういう人ほど何かを創ることはしない。ズルいけどノーダメは一番良き?
映画評論家ってなんなんだ?と思う。 ただ単に批判とかあら探しとか酷評をしても それは、評論というよりも作品を捌け口にしているだけのお粗末なストレス発散法だ。 作品を観て、感じたことを自分の中で咀嚼して、どう作品を表現するかが映画評論家がやることだ。 履き違えている評論家ばかりだ。
映画評論って答え合わせになっちゃうことが多いなー。映画評論ですら同調圧力があるのは人間の性かな。 作品の一部となるテクストが映画評論の理想で、映画評論も詩なのだが、そのことに気付かず、解説に終始すると、回答用紙になる。まぁ観客の多くは答えが欲しいだけだからそれでいいのだろう。