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言葉の伝わり方~新聞より

あまり理解されないが、私は「繊細さん」である。100%ではない。でも、確かにその性質は持っている。争いが苦手である。

何を言いたいかというと、新聞の、とある映画評が気になったのだ。

映画史上、公開されたドキュメンタリーは膨大な数にのぼる。しかし、大方は冗漫で凡作で、時に、取材対象に媚び諂うだけのドキュメンタリーの名折れと言いたい代物も紛れ込む

引用するなら、出典を書かねばならぬ。朝日新聞2024年3月8日より引用

こういう文章を読むと、心がざわつく。

この評者は、紹介するドキュメンタリー映画がいかに優れているかということを、比較評価するために書いたのだと思う。そうなのかもしれない。「大方が凡庸」大方って、どれくらいだろう。

映画評論家にこんなことを言うのは失礼である。怒鳴られるかも。自分には繊細と同時に、ヘンクツで頭に血が昇りやすい部分もある。言いたいことは書く。悪いことも書く。
自分が書く分には平気なのか。
ああ!一読者でしかないのに、エラそうに。この厚かましさはなんだ。そう思うとめげる。

本物


実はこの映画は見たいと思っていた。さらに見たいと思った。映画の素晴らしいところを十分に表わしている文章だと思った。だからこそ、最初の文章が気になったのだ。

もう一つ気になったこと。記事の最後のほうに、「この作品の素晴らしさは、私たちに生きる勇気を与えてくれることである」とある。(記事より)
これは、どこにでもある言葉ではないだろうかと思った。

だが、これには続きがある。

懦夫(だふ)をも起(た)たしむ」勇気を(与えてくれる)。
人間の運命や尊厳や人権などについての感想は、後からゆっくりやってくる。

「懦夫をも起たしむ」とは、今調べたら、「意気地なし、臆病者でも、やる気にさせる」こと。初めて知った。

「あとからゆっくりくる」
そのとおりだ。映画を見て感激する。なぜ感激したのかとか、あれはどうだこうだ、とか、あとからゆっくりくるのだ。

博識で賢明な専門家が書いているのだ。

こんな細かいところに引っかかるなんて、私は変わり者でへそ曲がりなのだろうか。たぶん、そうだ。
争いが苦手と言いながら、ケンカふっかけている。

  

     

でも、ここで、私は教訓を得る。

言葉は使い方を間違えると、人を傷つける。そこまで行かなくても、不快な思いをさせることがある。自分の文章はどうだろうか。自戒している。

まだ、映画の題名を言っていなかった。
『かづゑ的』 
10歳から98歳の今日まで、瀬戸内海のハンセン病療養所で暮らす元患者、かづゑさんの人生を綴った作品。

見に行くと決めている。

瀬戸内海

*淡路島のコアラ。瀬戸内海つながり。
夜中にこそっと投稿するヤツ。

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