オーディオアンプの性能差は、価格に関係なくほぼ一律であり、人間の聴力ではその差を聞き分けることができない、という説がある。 ここに5万円のアンプと250万円のアンプがあるとして、目隠しして、どちらの音が鳴っているのかわからぬ状態で聴き比べると、ほとんどの人はその性能差が聞き分けられない。(こっちが優れている!と指摘して当たったとしても、当てずっぽうでも確率50%だから、本当に聞き分けることができたのか否かは、判断できないのだが) 私もアンプ切り替え機を使って、この実験
「燃えよドラゴン」が公開されたのは私が小学5年生の時だ。 以後(遡る形で)ブルース・リーの主演作が公開されていったこともあり、私が中学に上がってもまだブルース・リーのブームは止むことがなく嵐のように吹き荒れていた。 映画を見るだけで飽き足らず 「わしもブルース・リーになるんや!」 と空手を習い始める者も少なくなかったが、厳しい鍛錬に耐えられず、また(どうやらこのまま続けても、ブルース・リーにはなれそうにないな……)と悟り、数ヶ月で道場を去る者がほとんどであった。 同級
自宅ガレージから自家用車を追い出して、150インチのスクリーン を吊り、当時としては最高性能のプロジェクターによる本格的なホームシアターを築いた先輩だったが、ここで映画鑑賞をするたびに、強い興奮で血圧が致死領域近くまで上昇することがわかり、医者にホームシアターでの映画鑑賞を禁じられてしまった。 この話を聞いた時 「凄いなぁ、映画は時に人の命も奪うものなのだなぁ」 と思って、映画に対する畏敬の念が強まったのだが、後で聞くとこの先輩、映画館でどんな刺激的な映画を見ても血圧は
怪獣映画は、暴力や破壊といった倫理的に禁止抑圧された邪悪な欲求を、怪獣に代理的にやってもらい、それを鑑賞することで、邪悪な欲求を満足させる、というジャンルである。娯楽映画というものは大概、そうした非倫理的欲求の充足で成り立っているのだから、それは恥じることではない。 しかし、破壊願望の充足だけでは、観客の中の倫理観が反発をおこして、罪悪感が惹起されてしまう。それを避けるために、破壊と暴力が発生する原点に勧善懲悪の概念や、反戦反核のような社会的なテーマを置く。 つまり反戦
親戚に歌の上手いお姉ちゃんがいて、芸能界に入って歌手になりたいという夢を持っていた。 1975年に某新人歌手発掘番組で勝ち抜き、優勝こそ逃したが大手芸能事務所にスカウトされた。 そこで大学進学をやめて上京することにしたのだが、お姉ちゃんの祖父というのが軍人出身の厳しい人で「待った」をかけた。 お姉ちゃんはもう事務所に入って芸能活動を始めることを決めていたので、祖父を無視して飛行場に向かったのだが、飛行場の役員に祖父の知り合いがおり、搭乗間際に捕まり、羽交締めにされて、保
喫茶店でコーヒーを飲んでいると、BGMに懐かしく心地よい音楽が流れ始めた。 和風のシンプルな旋律だが、物悲しく、寂れた喫茶店の空気をより冷たく、綺麗にする力がある。 しかし曲名が思い出せない。 確か歌がついていたはずだが、これは曲だけだ。 つれも確かに聞いたことがあるのに、思い出せないという。 演歌っぽくもあるが、もっと古い曲かもしれない。 間違いなく誰もの記憶に残っている名曲だ。 ……何だったかなぁ?これ。 暫くしてつれが思い出した。 「これ、小梅太夫の曲じゃん!
映画「グレート・ハンティング」が公開されたのは1976年の春だった。 「偶然撮影されたライオンが人を食う映像」というのが売りの残酷ドキュメンタリー映画で、結構な評判になっていた。 私は中学生の映画少年だったが、こうしたキワモノ映画は軽蔑しており、全く関心がなかった。 ライオンのシーンも映画雑誌に「作りもの」と書かれており、映画好きの間では、イタリア製の露悪的ドキュメンタリー映画は大概「ヤラセ」ということも常識化していたから、騒いでいる人たちがバカに見えた。 だから、こ
私が子供の頃。つまり半世紀ぐらい前には、まだ「激辛」という言葉が無く、強い辛みを売りにした菓子類は「柿の種」ぐらいしかなかった。 その柿の種にしても、今ほど辛くなかったように思うが、大人は子供が柿の種を食べることを禁じていた。 「あんな辛いモノを食べると身体が悪くなる」 というのだ。 「痔になる」 「肝臓に悪い」 「辛すぎて死ぬ」 家庭によって肉体への影響は様々だったが、世間一般的に柿の種は子供には毒であり、大人のお菓子・酒のつまみとされ、子供もそれを素直に信じていたのだ
70年代を懐古する本は、必ず「変身ブーム」に触れているが、実際に著者が変身ブームに興味を持っていたかどうか?は、すぐにわかる。 「ヘンシーン!というかけ声と共に主人公が仮面ライダーに変身するシーンが目に焼き付いている」 と書いてあるのは、もちろん当時、変身ブームに無関心だった人だ。 仮面ライダーは 「ヘンシーン!」 というイントネーションで「変身」を叫ばない。 「変身」はあくまで「ヘンシン」と発音するのであって「ヘンシーン」と伸ばすことはない。 これは当時から、実際に番組を
80年代までのオーディオ専門店は、どの店にも、奥の席に座ってタバコを吸っているお爺さんがいた。 このお爺さんは所謂「お得意様」だ。 その店で高級なオーディオ製品を購入したことで店主に認められ、一日中、そこにいることが許されているのだ。 せっかく高級な製品を揃えたのだから、家に篭って音楽三昧の生活をおくればいいのに、お爺さんにとっては、ここでふんぞり返っている方がずっと快適らしい。 若い頃の私は、こうした上得意客の存在を知らなかったから、彼らこそ店の主人、店長である、と
どのクラスにも、人を笑わせることが好きな奴が一人や二人いるものだが、笑わせるのが好きだからといって面白いとは限らない。 人を笑わせたがっている奴らは、むしろあまり面白くない場合が多かった。つまらない冗談を押し付けてくる彼らは鬱陶しく、痛々しかった。 高校のクラスにいたNも、人を笑わせたい欲求が強い男だった。しかし例に漏れず、全く面白くなかった。 Nはモノマネを好んだ。 「森……進一です……おふくろさんよ〜…」 「西城秀樹です!ハウスバーモンドカレーだよ…」 「三波春夫
1970年代中期。私が通う中学は、不良が増殖し、校内暴力の嵐が吹き荒れていた。毎日のように流血事件が発生し、教師にはこれを止めることが出来ず、ついに校内に警察が常駐するようになった。 校内で非行が発生すると、それを目撃した教師が警笛を吹く。すると職員室にいる警官が駆けつけ、暴力でもってこれを制圧するのだ。 ピー!ピー!ピー! 校内に響き渡る警笛の音。暴力事件発生の合図だ。 ドタドタドタ!普段では走ってはならない廊下を慌ただしく警官が走っていく。 「こらー!御用だ!御用だ
「L・G・B」は「L・G・B・T・Q」とは何の関係もない。 「L・G・B(以下LGB)」とは「レッツ・ゴー・ビートルズ」の略である。 「LGB」は1965年3月に結成されたビートルズの非公認ファンクラブである。 その大きな目的は「ビートルズに直接働きかけて、日本公演を実現させる」というものだった。 ビートルズの来日公演は1963年から噂があったのだが、実際は「かなり先だろう」とされていた。ビートルズはアメリカでの成功に賭けていたし、香港公演失敗からアジアを敬遠する向きが
コンビナート爆破を要求するテロリストを欺くために「コンビナートが爆発する映画のミニチュア特撮映像」をテレビ放送する、という凄い映画。 東宝特撮技術の全力投球で撮られた「ミニチュア爆破シーン」を見たテロリスト達は、実際にコンビナートが爆破される実況映像だと信じて喜ぶ。 しかし我々現実世界の観客は、どんな映画なミニチュア特撮も決して「実景だ」と思わない。 「日本沈没」のコンビナート爆破映像も、本当にコンビナートに火を放って撮ったものではなく、ミニチュアを爆発させたものだ、と
私の中学時代の担任は、3年間同じ人だった。30代の個性の無い男性だったが、妙な噂があった。 この担任には双子の兄がおり、時々、その兄が教壇に立っているというのだ。 双子だから顔も背丈も見分けがつかない。声も全く同じだから、二人が入れ替わっていても誰にもわからない。しかし双子の兄は教員免許を持ってないというのだ。 兄と弟の違いは、雷に対する反応にあるとされた。 天気が悪い日、雷が鳴ると弟(正式な担任)は「わー!きゃー!」と悲鳴をあげ、両手で耳を塞いでうずくまってしまう。そ
耳が痛くなりやすいので、イヤホンは使わない。 だからスマホで音楽を聴くことも決してなかったのだが、先日、知人に借りて現行のウォークマンを聴いたら、実に深々とした落ち着いた音が出てきたので驚いてしまった。 私が知らぬ間に、イヤホンでこんな音を聞くことができるようになっていたのか…… これを職場に持参し、暇つぶしに使うのは、大変贅沢な楽しみではないかな?と一瞬、物欲を感じたが、数分間聴いただけで、耳の穴が痛くなっていた。 「音が素晴らしいことは確認できたが、やはり私には向いて