町山智浩さんや北村紗衣さんなど現代の日本で影響力を持つポピュラー映画批評家のほとんどすべての人がアメリカン・ニューシネマの定義を知らず勝手にアメリカン・ニューシネマの語を自分で定義づけて使用している件
めんどくさいので俺がこういう記事を書くことになった経緯について万一興味があるという方はかなり長いですが↓の記事をざっとお読みください。
本題。日本の映画評論家、もしくは映画を評論する人として大衆的な人気を博しているほとんど全ての人がアメリカン・ニューシネマの定義を自分で勝手に決めてそれをさも事実であるかのように語っている件について。
これは今インターネットをざっと検索して拾い上げてきた、きわめてざっくりとした「有識者」によるニューシネマの定義、ないしそれに準ずるもの。ウェブ媒体ではなく雑誌などでニューシネマの語が日本で誕生してから今までにどう取り上げられてきたかは↓の別稿である程度検証した。
結論を書くと、どいつもこいつもまったくいい加減である。どんな映画をニューシネマとするか、すなわちニューシネマの定義は、これまでに一度もなかった。なぜかといえば、ニューシネマという和製英語の誕生から現在までにニューシネマとして扱われてきた作品は時代ごとに、そして論者によってコロコロと変わっているから。ある時代にはニューシネマとして語られた作品が後の時代にはニューシネマとは一切呼ばれなくなることもある。典型的なのはラリー・ピアースの地下鉄サスペンス『ある戦慄』で、これはキネマ旬報1968年春の特大号でのアメリカン・ニューシネマ特集においてニューシネマとされ、その後数年はニューシネマの範疇に含まれていたようだが、現在ではニューシネマとして語られることも、ニューシネマと関連して語られることさえない。これは同特集に含まれる『ポイント・ブランク』や『冷血』も同じ。
したがって事の発端となった北村紗衣さんの「何らかの体制に抑圧されている若者たちが、なんとかして現状を打破しようする反体制的な要素と、あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴」というニューシネマ定義だけではなく、それをそのまんま自分の頭ではなんも考えずに「間違いない」と書き飛ばしたロマン優光さんも、ニューシネマを反家父長制の映画群とする町山智浩さんや、ニューシネマの一つの特徴がセックスと暴力であると「語られてきた」と書く大寺眞輔さんも、みんな間違っていたことになる(ただし、「語られてきた」ならばそう語ってきた人も確かに存在するので、これはややズルい書き方である)
俺は日本でニューシネマとされる作品を今までにそれなりに自分の目で観てきて、こうした今の時代の巷間に流布するニューシネマ定義は正しくない、というよりも実際のニューシネマ(とされる)作品に即していない偏見とか宙に浮いたイメージのようなものであるとわかっていたので、そのことを一番上にリンクを貼った記事に書いたが、しかしその正しい見解が所詮はネットの無名人が書いた個人の感想だからと一蹴されたばかりか、むしろ北村紗衣さんの知名度という名の権力とツイッターのカス暴徒どもによって、俺の正しい見解こそが間違っているのだということにされてめちゃくちゃ悔しかったので、日本でアメリカン・ニューシネマがどのように語られてきたか、独自研究を始めたのであった。
ちなみに↓の北村紗衣さんの俺に対する反論文には「先日のエントリではNew Hollywoodについてはそこらへんの映画に関する事典や最近の英語の研究書にのっているようなあたりさわりのないことしか話していません。」とはじめの方に書かれているが、その先日のエントリには↑に引用したように「ニュー・ハリウッド」ではなく「アメリカン・ニュー・シネマ」の定義が書かれているので、そんな風に自分の言ったことを無意識にか意識的にかは知らないがすり替えている時点で読む意味は一切ない。
おそらく北村紗衣さんは「ニュー・ハリウッド」と「アメリカン・ニュー・シネマ」が異なる概念らしいということはわかっていても、具体的にどう違うかはよくわかっていなかったためにこういうトンチンカンなことを書いていたのだと推察するが、それ以上になにか俺からコメントすべきことはない。なぜなら、俺は最初から「アメリカン・ニューシネマ」の話をしていたし、「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」が異なる概念であることも、ちゃんと最初の批判記事で書いていたから。
さて、なんでそんなことを今更書いているのかといえば、日本におけるアメリカン・ニューシネマ言説の変遷を調べているうちに、『「アメリカン・ニューシネマ」の神話』という遠山純生さん編著の1998年に出版された本を見つけた。というか正確にはわりと前から見つけていたが、古本価格4000円と結構高かったので貧乏性の俺はなかなか買えないでいたのだった。それを最近ようやく買って読んでみたらずっこけてしまった。
本の序文で遠山純生さんは「アメリカン・ニューシネマ」の語が誕生した初期から本の出版された時点での現在(つまり1998年)までに、日本の映画評論の場においてこの語がどのように用いられてきたか、ニューシネマの語源となったタイム誌1978年12月号の内容も踏まえた上で検証を行い、以下のように結論づけていたからだ。
俺がひそかに大発見だと思っていた例のアメリカン・ニューシネマ言説検証記事(↓)に書いたことのほとんどすべてが、1998年の時点でとっくに明らかになっていたんである!
俺自身は今後もニューシネマ言説の変遷を個人研究し続けるつもりだが、ともあれニューシネマの定義についてはもう決着がついたと思うので、この話はもうここで終わりにしよう。次のことをあらためて確認した上で。
町山智浩さんや北村紗衣さんなど現代の日本で影響力を持つポピュラー映画批評家のほとんどすべての人がアメリカン・ニューシネマの定義を知らず(正確には「定義がないこと」を知らず)勝手にアメリカン・ニューシネマの語を自分で定義づけて使用している。
もしも『「アメリカン・ニューシネマ」の神話』が絶版になることなく読み継がれ、遠山純生さんの研究成果が広く知られていたならば、こんなメチャクチャがまかり通ることもなかったであろうから、この画期的な本(でも本当はそれ以前にもニューシネマには実態がないと言う映画評論家はまぁまぁいた。それがなぜか21世紀に入ると消えてしまい、一度は解体されたはずのニューシネマが再び「神話」として語られ始めたのである)がまるで脚光を浴びずに古本屋の隅っこに埋もれてしまっていることが悔やまれる。文庫化を強く希望したい(そして曲がりなりにも映画批評家を名乗りアメリカン・ニューシネマを語ろうとする人は、今後は必ず『「アメリカン・ニューシネマ」の神話』に目を通してから語ること)
※余談ながら俺は北村紗衣さんのニューシネマ定義を批判した記事(ツイッターで炎上させられたやつ)でニューシネマを以下のように定義した。これは俺のニューシネマ鑑賞歴から直感的に導き出したものだったが、その後ニューシネマ言説史を調べる中で、少なくともニューシネマについては妥当な見解であったとわかり一安心。やはり映画を語るならば文献に頼るのではなく、実際に自分の目で観るべきであると思う。