アニメなんか大嫌い! 映画評論家の激昂
70年代末。
高校の映画研究部に所属している私だったが、部員の多くは突然勃興したアニメブームに飲み込まれ、映画館で映画を見ずに、家にこもってテレビに齧りついてばかりいた。
よって部室は常にガラガラで、部の活動は停止状態。つまり存続の危機に瀕していたのだ。
このままではまずい。せめて文化祭ぐらいは盛り上げないと…… 。
そこで、少ない予算からゲストを呼ぶことになった。映画雑誌にも書いているプロの映画評論家である。
映画研究部に入部する者の多くは、アニメに目覚める前は
「わしは日本一の映画評論家になるんや!」
という野望を抱いていたはずなのだ。当時は映画評論家は花形文化人であり、メディアの露出も多く、文芸評論家より派手やかで格好良い存在だった。(「映画評論家になれば、試写会に呼ばれて、無料で映画が見られる」というのも、小遣いの少ない田舎の高校生にとっては大きな魅力であった)
そんな憧れの映画評論家が講演に来れば、アニメに転んだ連中も、皆、喜んで集まるだろう。
しかし、文化祭のゲストに呼んだ映画評論家Kは、映画誌では時々その名を見かけるものの、一冊の著書もなく、テレビに出るようなタレント性もない、高校生が憧れるタイプとは違うガリガリに痩せた中年男だった。顔からはみだすような太い黒縁のメガネをかけているが、レンズが傷だらけ。そのフレームがセロテープでぐるぐる巻きに補修されているのが、現在の境遇を表していた。
「文化祭の講演というから、もうちょっと人が来るのかと思っていたが、たったこれだけか……」
聴講者は、広めの講義室に、私を含めてたったの4人だったのだ。つまり「アニメに毒されてない部員だけ」である。
Kは苦い顔で
「僕が東京で講演すれば、小ホールが満員になるんだけどね……人を呼んでおいて、この扱いはどうなんだろうねぇ?」
と言い、タバコをくわえ、両足を机の上に投げ出した。
あまり売れてないとはいえ、Kは映画雑誌にも書いている東京の文化人だ。身なりは悪いが、田舎には絶対存在しない憧れの映画関係者の一人なのだ。そんなゲストを不機嫌にさせてしまった……
私が思わず
「じ……実は映画研究部の大多数の部員は、ブームに乗ってアニメしか見なくなってしまったのです。だから有名映画評論家のK先生のお力をお借りして……映画から離れていく部員の心を呼び戻そうと……」
と苦しい言い訳すると、Kは
「黙れ!」
と言葉を遮り
「何がアニメだ。あんなもん紙に書いた、ただの絵じゃないか!ブームなんか一年も続かないのは目に見えとる。君らのような高校生が、あんな子供騙しに引っかかってどうするんだ!アニメは見ちゃダメ!」
と顔を真っ赤にして怒り始めた。
「……いや、だからここにいる我々はアニメとは関係ない、純粋な映画ファンでして……」
「うるさい!アニメに転ぶ部員を引き止められなかったんだから、お前らも同罪だ!何がアニメだ!僕の前でアニメの話なんかするな!」
Kは拳で机をガンガン叩いて怒り狂う。我々の不手際で参加者が集まらなかった怒りは、いつの間にかアニメーションに対する怒りに変わっている。そしてその怒りはおさまらない。
人を集められなかったのは、k自身の知名度の低さも大いに関係があるだろうが、もちろんそれを認めることはない。いや、認めたくないからアニメに怒りをぶつけているのだ。
「ギャースカ!ギャースカ!」
ついに我々の内、最も気が弱いSF映画好きのAがシクシクと泣き出した。Aは実はアニメ好きでもあり、実写映画とアニメを両立させていただけに、Kの怒りに任せたアニメ大批判が耐えられなくなったのだろう。
「泣くな!バカ!」
Kは猛然と立ち上がり、謝礼の袋をひったくって
「や〜い!お前らのような低能には、アニメぐらいがちょうどいいんじゃないの?僕の話を聞くのは10年早いわ!」
と捨て台詞を残し、早足で出て行ってしまった。
誰もKを追う者はなく、ただAの鼻を啜る音だけが閑散たる講義室に響いている……
80年代に入ると映画評論家Kは、より逼塞し、雑誌等でその名を見ることが完全になくなったが、末期には真面目なアニメ映画の評論も書いていたらしい。そこには
「今やアニメを愛さぬ者に映画を語る資格はない」
との一文もあったという。