孔子の武勇伝。左伝定公十年。魯国の君主を補佐して斉国との外交に任じた孔子は斉の君主の失礼な言動に、兵を挙げよ!と宣言したそうです。元々士族の家に生まれた孔子は武人の気質があったはずです。孔丘無勇と詰られて黙っているはずもないのです。論語しか読まない人は、是がわかるでしょうか。
「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。」 『孫子』