鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生
中学受験について、重要ポイントを解説しています。
渋谷教育学園幕張中学校の過去問、傾向と対策です。
慶應義塾中等部の対策講座です。俳句、特に夏の季語についてのマガジンです。
4月になると、どの小学校でも新学年が始まります。 この春6年生になった小学生は、今気分も新たになっていることでしょう。しかし今年の中学受験は、もう既に始まっているのです。 どこの塾でも、2月が新学年スタートの時です。 2月1日から、東京の御三家を始めとする中学受験が始まるからです。 その受験が一段落した2月10日頃から、新6年生としての授業が始まっているのです。 算数では「整数論」「規則性」「場合の数」といった分野から、カリキュラムを始める塾が多いでしょう。 4月には
高宗諒陰三年不言。論語。沈黙の王として宮城谷昌光さんの小説にもなった殷王朝の高宗は夢に傅説という人材を得て宰相に抜擢した事が、唐代の貞観政要にも引用されています。三年もの言わずに喪に服した謙虚さと礼節が傅説という人材を得た明徳の現れなのでしょう。謙譲が部下の諫めを呼ぶのです。
唇亡歯寒。左伝哀公八年。公山不狃は亡命先の呉王に警告しました。大国の晋や斉にとって魯国は唇に当たる、唇が亡びたら歯がむき出しになって無防備になるから、呉国に攻め滅ぼされぬように救援軍を派遣してくる、そうすれば呉国は四カ国を敵に回します、と。公山不狃は結局は魯国を守ろうとしたのです
殷に三仁有り。比干は諫めて死す。創業よりも守成が難しいのは何故か。貞観政要は幾つかの理由を挙げていますが、その一つにトップが部下の諫めの言葉を聞かないというのがあります。人臣、諫めんと欲すれど、死亡の禍いを懼ると太宗自ら言う位です。死を賭して諫めた比干は仁者だと孔子は言うのです。
内省不疾。夫何憂何懼。論語。内に省みて疚しからざるとは、陽明学の良知を致すことであり、禅語の自性清浄心の仏性を輝かせ、本来の自己に目覚めることでしよう。そうなれば何が起ころうと懼れることは何も無いはずです。随処に主と作れば立処皆な真なり。本来の面目、一無位の真人が本当の自分です。
冉求の戦。左伝哀公十一年。孔子の高弟冉求は斉国と艾陵の地で兵三百を率いて戦いました。国を守った義戦であったとの孔子の記述がありますが、論語では冉求の評価はあまりよくありません。季氏の元で豊かであったために破門されたとあります。才能はあっても徳がなかったのかもしれません。
孔子の武勇伝。左伝定公十年。魯国の君主を補佐して斉国との外交に任じた孔子は斉の君主の失礼な言動に、兵を挙げよ!と宣言したそうです。元々士族の家に生まれた孔子は武人の気質があったはずです。孔丘無勇と詰られて黙っているはずもないのです。論語しか読まない人は、是がわかるでしょうか。
孔子の大義。哀公十四年。斉の陳恒、後の田常が君主の簡公を殺害しました。孔子は哀公に討伐軍の派遣を進言しましたが受け容れられませんでした。もし許可が得られたなら72才の孔子は出征しただろうと言われています。義無き仁は偽物です。勇無き仁は偽物です。義を見て為さざるは勇無きなりです。
泰伯の至徳。論語。呉国の初代王を讃えた言葉とされていますが、それだけでしょうか?孔子の生きた哀公時代、呉国は隆盛を極めたようですが、その一方で無道ぶりを批判され、滅亡を予言されています。左伝哀公十一年。その十一年後、呉国は滅亡します。孔子はそれを嘆いていたのではないでしょうか。
福沢諭吉と左伝。左伝通読十一遍。私は全部通読、およそ十一度読み返して、面白いところは全部暗記していたと福翁自伝で述べています。彼の洋学の根底には磐石な漢学の素養があったのです。明治の偉人は皆漢学の素養がありました。だからこそ列強に侵略されずに日本は独立を保てたのです。独立自尊です
春秋左氏伝。国政に関与する者は皆左伝を読まねばならぬと渡部昇一さんは言っています。大国が小国を武威で圧倒する春秋時代の小国は連合して大国の圧力に対抗するしかなかったのです。国内でいくら繁栄を享受しても民主国家アテネは軍事国家スパルタに攻め滅ぼされたのです。歴史に学ばないと危険です
周公旦。孔子理想の人。書経によれば、文王武王によって周王朝建国後、成王の時、一族の反乱が勃発し周は存亡の危機になります。この時反乱を鎮圧し国政を摂政として担ったのが周公旦でした。このようなことは論語だけではわからないことです。帝王学として論語を読むにはこのような学問が必要です。
徳治政治。孔子の政治学。過酷な課税と刑罰をできるだけ慎む明徳慎罰が書経にあります。日本の天皇もかまどの煙が立っていないことから民が飢えていることを知り生活を質素にして課税を控えたと史書にあります。西洋の王はこのようなことはしていないのです。これが東洋の良き伝統なのです。
詩と書。孔子の学問。孔子の時代の学問とは詩経と書経でした。詩経は国風で民情を知る為に、書経は天命を知る帝王学の為です。特に王朝維持の為に帝王は徳を明かにしないと革命が起きて王朝は滅亡するとされたのです。明徳を明らかにして民に親しむ事が求められたのです。仁の為の学問ではありません。
於無功用中施功用。碧巖録。山は本のままに是れ山、水は本のままに是れ水。造作なく遠慮なく日月の大虚にめぐりて未だ嘗て暫しも止まらざるが如し。 打算や計算で人慮を尽くしても天知る地知る我が知るです。偽物は化けの皮が剥がれて本物だけが生き残るのです。是が天地の法則です。大道無不思議です
立命の学。安岡正篤は陰隲録を読むという著書で袁了凡の思想を立命の学として第一章を始めています。運命は変えられるということです。善行を行なって人に知られない陰徳を積み重ねれば運命を改善できるということです。そのためには謙譲の徳が大事です。自己主張ばかりでは争いをうむだけです。