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闘戦経【トリビア雑学・豆知識】

闘戦経とうせんきょう 第四十章

『得體得用者成 得用得體者變 先剛學兵者爲勝主 學兵志剛者爲敗將
たいを得てようを得る者は成り、用を得て体を得る者は変ず。ごうを先にして兵を学ぶ者は勝主と成り、兵を学んで剛に志す者は敗將となる。

《現代語訳》
(A) 活用を優先し、その後に土台を整えようとしても、安定した成果は得られない。強固な精神を先に築き、その上で知識を吸収すれば勝利をつかめるが、知識を先行させて精神の鍛錬を後回しにすれば、敗北を招くことになる。


(B) 事実を把握した上で対応策を考え準備を整える者は成功を収める。一方で、あれこれと対処法だけを揃え、根本的な事実を見誤る者は、誤った方法に頼ることになる。実戦に精通し兵法を使いこなす者は勝利を掴むが、兵法を学ぶだけで勝利を得られると勘違いする者は、敗北を喫することになるだろう。


武家源氏の祖とされる源義家は、勇猛果敢で文武両道に優れ、謙虚さを兼ね備えた人物として知られている。家来に対してはもちろん、敵に対しても情け深く慈悲の心を持ち、多くの逸話が語り継がれる日本武士の理想像ともいえる存在だ。しかし、「奥州後三年記」によれば、大江匡房が義家の武勇の噂を耳にした際、彼を次のように評したという。
器量は賢き武者なれど、なお軍の道を知らず」
-確かに戦上手で器量の優れた武将のようだが、残念ながら兵法の道(兵学)には通じていない-
この厳しい評価を聞いた義家は怒るどころか、むしろ感謝の念を抱き、頭を下げて礼を尽くし、匡房から兵法を学んだという。この逸話は、義家の謙虚さと向上心を象徴するものとして語り継がれている。

たいを得てようを得る者は成り、用を得て体を得る者は変ず。ごうを先にして兵を学ぶ者は勝主と成り、兵を学んで剛に志す者は敗將となる。

とは、すなわち、義家エピソードの逆「兵法の理論には通じているが、実戦の経験が乏しい」ということである。
兵を指揮するには、机上の空論に頼るだけでは不十分である。指揮官自身が優れた兵士であり、戦場の現実を身をもって経験している実戦派であることが求められる。そうした経験を積んでいる者の方が、より的確で迅速な判断を下せるからだ。
「禅僧の良く兵を用いるか」という言葉には、剣を説き悟りを導いた禅僧が自ら剣を持った場合や、その教えを受けた者が剣豪を超えられるかという問いが含まれる。
しかし、剣の真髄は禅だけでは得られない。到達者の境地には長年の鍛錬と修練がある。禅がきっかけであっても、それは努力の果てに訪れる一瞬の啓示に過ぎない。「禅を学べば剣の極意に至る」という考えは安易であり、この言葉はそうした考えを戒めている。
行動の伴わない理論や知識は無力である。たとえば、筋力を鍛える際、即座に行動する者と最適な方法を長年研究してから始める者では、前者の方が成果を早く得るのは明らかだ。実戦は計画通りに進まない。「習うより慣れろ」「経験は愚者の教師」といった言葉が示すように、知識だけでは不十分である。孫子や兵法書を読んでも、実戦で必要な力は実践を通じて得られる経験から生まれるのだ。


中小企業でよく見られる「現場で覚える」や「見て習え」といった教育方法は、本章で触れる「用を得た後に体を得る」の真逆を行くものだ。基礎がないまま現場に送り出されれば、失敗や戸惑いが連続し、何を学べばいいのかも分からないまま、ただ時間だけが過ぎる。これでは自信を失い、悶々とした日々を送ることになり、教育というより「教育ハラスメント」と呼ぶべき状態。このような方法で成果を出せるのは、一握りの例外に過ぎない。
一方で、基礎教育をしっかり行い、訓練を経た後に現場に出すプロセスを取り入れれば状況は一変する。この方法で育てられた人材は、基礎を持たずに現場に送り出された先輩社員よりも早く戦力となり、仕事の中で信頼を築いていく。まさに「体を得て用を得る者は成り」という教えの通り、基盤を固めることが何より重要だ。この原則は教育だけでなく、企業運営にもそのまま当てはまる。
経営においても、基礎のない成功は砂上の楼閣に過ぎない。短期的な成果は再現性が低く、持続しない。一方で、しっかりとした土台の上で得られた成功は、長期にわたり安定的。

では、基礎や土台作りに取り組むにはどうすればよいのか。まず必要な技術や知識をリストアップし、それを明確にすることが欠かせない。曖昧なままでは幹部間で意見が食い違い、方向性を誤る可能性が高い。経営面では、コア技術やノウハウ、戦略的な技術の整理が求められる。また、運営面では、組織の価値観や業績に直結する仕組みを整えることが肝心だ。これらを日々磨き上げることで、安定した成果を得る道が開ける。
さらに、基礎構築において「精神」や「心」の重要性を忘れてはならない。たとえば、マニュアル化された接客では、知識や技術が先行する一方で、本来の「顧客の心に寄り添う」という精神が置き去りにされがち。お辞儀の角度やトークのスキルなど表面的な要素に重点が置かれ、本質が後回しになる例は少なくない。
オリエンタルランドの例が示すように、ディズニー精神を徹底的に教えた上で切符切りの訓練を行うような教育では、「How To」よりも「Why」に重点を置く。この姿勢こそが成功を支える鍵となる。

経営者教育にも同様の考え方が当てはまる。MBAで経営知識やノウハウを学ぶことはできても、事業に対する信念や強い精神、「剛」を養うことは容易ではない。「知識先行、精神後回し」の姿勢では、事業の成功は望めない。「闘戦経」の教えにある「知識を学ぶ前に強い精神を作れ」という言葉は、現代経営にも当てはまる普遍的な真理。「プロ経営者」という言葉が話題になる昨今でも、単なる知識やノウハウだけでなく、「剛」を持つ人材が求められる。事業の社会的価値を深く理解し、修羅場をくぐり抜けた強靭な精神力を持つ人物こそが、真に必要とされる存在。つまり、人づくりや組織づくりにおいては、「活用する前に土台を」「知識・技術の前に精神・心を」という順序が何よりも大切なのである。


闘戦経とうせんきょう』は、平安時代末期に成立したとされる日本最古の兵法書。現存する純日本の兵法書として貴重な位置を占めており、その著者は大江匡房おおえのまさふさと伝えられている。この書は、鎌倉幕府の御家人や文官御家人たちの間で広く読まれ、愛用されたと言われている。
内容としては、「孫子」をはじめとする古代中国の兵法に対比されるものであり、日本独自の兵法理念を提示している。その根幹にある思想は「誠」と「真鋭」。たとえば、中国の兵法書では相手を欺く策略も重要な戦術とされているが、『闘戦経』はそれとは一線を画し、「偽りは所詮偽りにすぎない」とし、真実を尊ぶ姿勢を強調している。
また、「正々堂々と戦う」ことに関する記述も特徴的。どんな手段を使っても勝つことを是とするのではなく、まずは潔く正々堂々と戦うことの重要性が説かれている。この姿勢は、相手を敬いながら戦う武士らしい潔さを表していると言える。防衛学研究者の間では、この書が武士道や武士道精神の起源であるとする意見が一般的で、日本に古くから伝わる「武」の知恵と「和」の精神を簡潔にまとめたこの書物は、武士たちの精神的支柱となったと考えられる。

参考文献


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