
孫正義 リーダーのための意思決定の極意
本書は、孫正義がソフトバンクアカデミアで行った特別講義「意思決定の極意」と、独自の経営戦略論「孫の二乗の兵法」をもとにまとめられたものです。「意思決定の極意」では、30のビジネス上の意思決定問題とその解答を通じて、孫正義氏の思考プロセスを明らかにしています。一方、「孫の二乗の兵法」は、孫子の兵法とランチェスターの法則を融合させた25のキーワードを軸に、経営戦略を示した内容です。これらを通じて、リーダーシップ、意思決定、経営戦略に関する孫正義氏の考え方が解き明かされています。
意思決定の原則―リーダーとしての覚悟
1. 迅速な決断
孫氏は、リーダーに求められる最も重要な能力として「迅速な決断力」を挙げています。迷いを排し、必要とされる場面で即座に行動することで、リーダーシップを発揮します。
事例: ソフトバンクがYahoo! BBの市場参入を決めた際、既存の通信業界において異例の価格戦略を採用しました。当時、通信料金を大幅に下げることは「リスクが高すぎる」と指摘されましたが、孫氏はこの判断を即座に下し、プロジェクトを推進。結果として業界全体の価格破壊を生み出し、ソフトバンクの地位を一気に向上させました。
2. リスク管理と柔軟性
孫氏のリスク管理には「七割以上の勝算」と「三割以内の損失」を守るという明確な基準があります。この徹底したリスク評価と柔軟な対応が成功の鍵となっています。
リスク管理の重要性: 孫氏は「七割以上勝てる」と確信できるまで徹底的に準備を行います。この確信がない限り、決して進めないという執念が、失敗のリスクを大幅に抑える要因となっています。
事例: 通信事業への大規模投資が予想外の障害に直面した際、孫氏は素早く投資計画を修正し、リスクのある部分を切り離すことで被害を最小限に抑えました。また、収益性が見込める新興市場への再投資を同時に実行。短期的な損失を許容しつつ長期的な利益を確保する柔軟な対応で、困難を乗り越えました。このような対応は、失敗を完全に避けることはできなくても、最悪の事態を回避するリスク管理の実践例です。
退却の勇気と重要性: 孫氏は「負け戦だと判断した場合、恥を忍んで速やかに退却する勇気が必要だ」と強調します。特に、撤退の決断にはトップリーダーとしての覚悟と責任が求められます。「退却できないリーダーは会社を潰す」との指摘は、多くの経営者にとって重要な教訓です。
3. 危機におけるリーダーシップ
孫氏は自身が健康問題に直面した際も、リーダーとしての役割を放棄せず、柔軟な対応を行いました。
事例:慢性肝炎と診断され、肝硬変のリスクが高いと宣告された際、すぐに治療に専念することを決断。入院中も会社の経営を完全に放棄せず、3日に1回病院を抜け出して役員会議に参加していました。残りの時間は自己成長に費やし、3000冊以上の本を読破。この期間に経営哲学「孫の二乗の兵法」を編み出しました。
4. 赤字事業の立て直し
孫氏は赤字事業に直面した際、全体を切り捨てるのではなく、部分的に撤退しつつ再建を図るという選択を行いました。
事例:ソフトバンク創業初期、主力事業の一つであった出版部門が8誌中7誌で赤字に陥る危機に直面。孫氏は「3ヶ月以内に黒字にならなければ廃刊」と編集長たちに告げ、抜本的な改革を要求。半年後、7誌中6誌が黒字化を達成し、廃刊となった1誌のスタッフは新しい分野で活躍。結果、出版部門は後に23誌を刊行するまで成長しました。
5. リスクの高い投資の判断基準
孫氏は、創業半年の赤字会社への巨額投資のようなリスクの高い案件でも、将来性を見抜いて判断することができました。
通常は投資しない: 創業半年の赤字会社への投資は99%のケースで避けるべきとしながらも、例外として「良い赤字」であれば検討する価値があると判断。
ヤフーへの投資: 創業間もない赤字企業ヤフーに投資した際、インターネット市場の可能性を読み取り、タイミングを逃さず投資を実行。
複数の収益源を確保: アメリカのヤフー、日本のヤフージャパン、さらに欧州展開と、同時に複数の拠点を確立。リスクを分散しつつ成長を目指しました。
マインドシェアの集中: 当時、インターネット関連の売上はソフトバンク全体の1%未満でしたが、孫氏自身の時間と知恵の99%をインターネット分野に注いでいました。
6. 不祥事への対応
突然の不祥事が発生した場合に、リーダーとして何を最優先すべきか。
孫正義は、この状況に対して「顧客への説明責任を最優先し、報道リスクは覚悟する」という選択肢を選んでいます。その理由として、一時的に非難が集中したとしても、顧客の被害を最小限に食い止めるために説明責任を果たすべきという考えを示しています。
ソフトバンクでは、約452万件に及ぶ顧客情報が不正流出した事件が発生。当時の派遣社員が顧客リストを持ち出し、第三者に売却。
買い取った人物が1500万円を要求してきたが、警察に届け出て公表。報道リスクを受け入れ、孫氏自身が記者会見で徹底的に説明。
事件を教訓に、情報管理を性善説から性悪説に転換し、再発防止策を徹底。
孫の二乗の兵法
「孫の二乗の兵法」は、古代中国の兵法書『孫子』と近代戦略論の「ランチェスターの法則」を融合したものです。この戦略は、現代ビジネスの文脈に合わせて具体化されており、25のキーワードで構成されています。
「道・天・地・将・法」―成功のための基本原則
孫正義氏は「道・天・地・将・法」を、組織が戦いに勝つための基本要素として挙げています。これらは孫子の兵法を基に、ソフトバンク流に解釈したものです。
道(理念・志) ソフトバンクグループの理念は「情報革命で人々を幸せにする」です。この理念をすべての行動の出発点としています。
天(時) 「天」は、時代や機会を意味します。孫氏は、情報革命という大きな流れを捉え、これを活かすことの重要性を説いています。
地(地の利) 「地」は、地理的な有利性を意味します。ソフトバンクはアジアを拠点とし、インターネットユーザーが増加する地域の成長を取り込みました。
将(リーダー) リーダーとしての資質や能力が問われます。孫氏は「将」の重要性を強調し、後継者にも優れたリーダーシップを求めています。
法(方法・仕組み) 成功には、システムやルールの整備が不可欠です。孫氏は、これを組織をスケールアップする基盤としています。
これらは、理念を基盤とした順序で優先順位をつけることで、迅速かつ正確な意思決定を可能にします。
「頂・情・略・七・闘」―リーダーが持つべき智
孫氏は、リーダーが持つべき「智」の要素として、「頂・情・略・七・闘」を掲げています。
頂(ビジョン) リーダーは自らが登るべき山を決め、その山頂から見える景色をイメージする必要がある。ビジョンとは、単なる将来の予測ではなく、明確な期限を設定し、その時点でのイメージを徹底的に思い描くことです。
情(情報) 情報の収集と分析が重要です。起業前、孫氏は1年半で40のビジネスモデルを考案し、それぞれに10年分のプランを作成しました。
略(戦略) 収集した情報を基に、徹底的に選択肢を絞り込み、一つの戦略に集中することが求められます。
七(リスク管理) リスクを理詰めで分析し、「7割以上勝てる」と確信できる状況でのみ動きます。また、失敗しても会社が存続できる範囲でリスクを取ります。
闘(闘争心) 既得権益や権力との闘いを避けてはならず、ビジョン実現のために闘争心を持つことが必要です。
「一・流・攻・守・群」―第一人者たらんとする者の戦い方
孫氏は、「一・流・攻・守・群」を、第一人者を目指すための戦略要素として挙げています。
一(ナンバーワン戦略) 圧倒的ナンバーワンを目指します。孫氏は「二番は敗北」と断言し、業界のデファクトスタンダードを確立する重要性を説きます。
流(時代の流れ) 時代の本流を見極め、それに乗るだけでなく、流れを創ることが重要です。
攻(攻撃力) 営業、技術、新規事業など、多面的な攻撃力を備えるべきです。
守(守り) 資金管理を重視し、キャッシュフローを確保しつつ、攻め続ける基盤を作ります。
群(同志的結合) 戦略的シナジーを活かし、5000社規模の企業連携を構築する目標を掲げています。
「智・信・仁・勇・厳」―リーダーの心得
孫氏は、リーダーが内面的に備えるべき心得として、「智・信・仁・勇・厳」を提唱しています。
智(思考力) 幅広い分野で深い理解を持ち、専門家と対等に議論できる能力が必要です。
信(信頼) 信義を重んじ、嘘をつかない誠実さが求められます。
仁(愛情) 部下に対する深い愛情を持ち、厳しさと優しさのバランスを取るべきです。
勇(勇気) 困難に立ち向かう勇気、適切な退却の勇気、迅速な意思決定の覚悟が重要です。
厳(厳しさ) 自己規律を守り、不正を許さない厳しさを持ちながらも、組織の成長を促す姿勢が求められます。
「風・林・火・山・海」―戦術の実践
「風・林・火・山・海」は、戦術レベルでの行動指針を示す五つの要素です。
風(迅速な行動) スピード感を持ち、状況に応じた迅速な行動が必要です。
林(静かに進める) 極秘裏に物事を進め、情報漏洩を防ぎながら戦略を展開します。
火(攻撃) 攻撃力を持ち、先手必勝を心がけます。
山(防御) 冷静な判断とリスク管理を重視し、無駄な動きを避けます。
海(包容力) 多様性を受け入れ、変化を恐れず柔軟に対応することが重要です。
最後に―孫正義に学ぶリーダーシップの本質
孫正義氏のリーダーシップは、「志」と「行動」の両輪によって成り立っています。高いビジョンを掲げ、迅速な意思決定と戦略的な行動で組織を導く姿勢は、現代のリーダーにとっての指針となるでしょう。
しかし、これを単なる成功の公式として捉えるのではなく、「あなた自身のビジョンは何か?」と問い直すことが重要です。彼が提唱する「孫の二乗の兵法」や「智・信・仁・勇・厳」の哲学をどう活かせるのか。その答えは、あなたがどのような未来を創りたいのかによって変わるはずです。この考察を機に、リーダーとしての自分自身の在り方を見つめ直してみませんか?