自分の傷付きやすさに焦点を置くとどこからともなく飛んでくる刃に引き裂かれそうになる。怯える私を目掛けて楽しそうだ。怯える私に、チャラく生きてんじゃないよ猫かぶってんじゃないよと言いたくてしょうがない人の思いが刺さる。傷付きやすさは傲慢の裏返しに映るのだろう。否めきれない私がいる。
自分の中の傲慢さと闘う。自分の弱さを見つめる。自分の強さを見極める。弱さと強さを把握する。自分らしさがわからない。弱さと強さを把握してないからだ。自分らしく生きるなんて、もっとわからない。弱くても強くても私は私なんて言っても、そんな風に割り切れない自分と日々闘っている。力みすぎ。
傲慢さ、目に余る!悪いことをしたら謝罪はすべきなのか!傲慢さは明らかに表れ始めている。己の権力の強さを知ってての仕業なのか?知らないふりしてるのか。でも反対に叩かれると弱いのを自ら知っているせいか?自分、身内には甘くしがちなのですか?疑問に答えて欲しいと思ってる私がここにいます。
森友学園を巡る文書開示訴訟で、財務省の不開示決定を取り消した大阪高裁判決に対し、同省が上告しない方針決定「yahooニュース」。またひとつ変わった。長く続いたことが傲慢に繋がり腐敗もする、その悪影響は酷いものである。開示の方法に注意が必要。こうならない体制にすることを期待する。